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授業中に寝てはいけないは本当なのか?

どうもyousukehiraiです。

筋トレをしたり、英語を勉強したり、プログラミングスクールでプログラミングを教えています。

今回は、「授業中に寝てはいけないは本当なのか?」というテーマで書かせていただきます。

早速いきましょう。

授業中に寝るな、人が話をしているときに寝るな!

「授業中に寝るな」、「人が話をしている時に寝るな」

こういったことって聞いたことありますか?先日、大学生になっても、この話を聞きました。もしかしたら大人になってもこの話聞くんじゃないかなってうんざりします。今回は「寝るな」って言っているAさん寝ているBさん、そして、この状況を見ている傍観者Cさんについて考察したいと思います。(登場人物であるAさんBさんCさんはみなさんの想像で一緒に考えていきましょう。)

Aさんはどうすればいい?

まずはAさんについて考えましょう。状況を整理します。Aさんは話をしている側、Bさんは話を聴く側と仮定します。Aさんは話をしているのにもかかわらず、Bさんは寝ています。教壇に立ったり、人の前で発表することを経験した方なら分かると思いますが、前から見えるんですよね。寝ていたり、何か関係ないことをしているのって、よく分かるんです。教職課程を履修しているので、そーいうことを学べました。たしかに、Aさんは自分が話をしているのに見える範囲で寝られたら、「怒り」、「悲しみ」、「嘆き」の気持ちで「寝るな!」という叫びになるんでしょう。授業中など、特にそうですよね。先生が「寝るな」「起きろ」って言うこと多いと思います。常識的に人が話をしているときは寝るべきではないです。でも、僕はこれ違うなと思います。なぜなら、話す側は聞く側に価値を提供する必要があるからです。Bさんは、Aさんの話に自分にとって価値がないものだとして、寝ているのではないかと考えます。これを分かっていない人が怒ったりするんじゃないかなと思います。高校3年のとき、8割近くの生徒が寝てる授業があって、先生がストレス発散かのような大声で、「起きろー!!」って叫んだんです。今思うと、恐ろしいです。自分の力の無さを嘆いたのか。生徒の8割が自分の話を聞いてないからなのか。おそらく後者です。そんなに頭のキレた先生ではなかったですから。自分の力の無さを考えずに、大声で叫んで解決しようとしたんでしょうね。そのような人が学校の先生にいます。教育現場が変わっていくのは難しそうです。寝るという行為は生理現象ですから、Bさんがどのような状況であったか、一概には言えません。ただ、そのような状況であったとしても、Bさんが憧れている人が講演会を開いたり、面白くて興味のある話があれば、講演会で寝るようなことはないでしょう。目を開け、メモを取り、何度もうなずくはずです。自分に興味があること、価値を見出すことができる話ならば、寝るというリアクションにはならないんです。100人いる中で90人寝ていれば、90人には価値を提供できていないことになります。10人にしか価値を提供できていないんです。100人中100人に提供することは難しいですが、より多くの人に価値を提供するために、面白い、聞いて良かったと思える話、価値を提供できる話をできるようになりましょう。10人しか起きて聞いていないのならば、Aさん(話す側)は悔しいと思うことが必要でしょう。それがAさんの成長につながり、改善するチャンスになります。また、話す側になるときは考えましょう。話すということは、相手ありきです。相手に価値を与えることができるように話すことが大切です。就職活動の際、面接やグループワークなどでもこれは有効ではないかなと考えています。

Bさんはどうする?

人の話の中には、あらゆるヒントが詰まっています。直接的に今の自分に関係がなくても、1週間後に、その話を思い出し何かをひらめいたりするときがあるかと思います。僕の場合、それは本であったり、youtubeであったり、Twitterなわけですが、僕は、著者や、youtuber、フォローしてる方から、自分に価値のある情報をかき集めています。これは、講演会などでもそうですよね。話す側のたった一言で人生が変わるかもしれない。何か目標が生まれるかもしれない。アイデアが思いつくかもしれない。しかし、こんなチャンスがあるのにもかかわらず、寝て過ごしていてはもったいないです。それなら夜しっかり寝たほうがいい。人の話を聞くって本当に重要です。話を聞くことで、だんだん取捨選択できるようになっていきます。「あーきれいごと並べているだけだなこの人」とか、「この人の言うこと賢いな」など。取捨選択できれば効率も良くなり、さらに成長できるでしょう。Cさん、めっちゃ重要です。傍観者のCさんですよね、重要なのって。Aさんが話しているのを聞いている。Bさんが寝ているのを見ている。この状況で、Bさんにどう対応するかでこれからのBさんの行動も変わりますし、Cさんの存在意義も変わります。ただ単純に、「寝るな、起きろ」、というのは思考停止です。「人が話しているときは寝てはいけない。」このような常識と言われるものを、深く考えずにただただ言うだけの思考停止の典型例です。なぜ、「人が話しているときに寝てはいけないのか」 を考えないといけません。こういう話をするとたまにいるんですよ。「そんなものは自分で考えろ」と言う人。

アプローチの仕方が違うと思います。分かっていないから寝るという行為をするんです。それを教えることが必要なんです。この場合、たいていCさんもなぜ寝てはいけないのか、聞くと、「そんなの当たり前」だと言う人が多いです普通だとか、常識というものに惑わされてはいけません。

あなたの思う常識は本当に常識ですか?

普通、常識であるというのは、普遍的なものです。時代が変わっても変わらないものが普通であり、常識です。例えば、1月の正月。ひと昔前までは、皆さん年賀状を送っていませんでしたか?年賀状を送ることが当たり前年賀状を送らないなんて非常識だ!みたいな風潮あったじゃないですか。

でも、2020年の正月を思い出してください。みなさんは年賀状送りましたか?僕は1枚も送っていません。なぜなら、スマホが普及しSNSを使うユーザーが増えたことで、いちいち紙に書いて送ることが不必要になったから。

「年賀状なんてなんで送ってたの?」

そういう時代が来ると思います、すぐに。というか、もう来てるかもしれません。年賀状を送ることは常識ではないのです。普遍的でないものは、どんどん疑いましょう。

まとめ

今回は、人が話している時になぜ寝てはいけないか、話す側は相手にどういった価値を提供するのか。また、常識を疑うということを考察しました。なんでもかんでも怒ればいいというものではないんです。僕は、ブログを書いたことで相手に価値を提供するということの大切さを学びました。寝ている人にただ怒って、責任を感じさせるという行為は全く頭を使っていません。怒る方は思考停止状態です。怒るときも怒る相手に対して、価値を提供できるようにしたいです。読んでくださりありがとうございました。次の記事も楽しみにしておいてください。

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