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全世界の人は救えないのか?本当の意味での救うとはなにか?

どうも。最近やっとまな板だったり鍋が届いたので、自炊らしくなってきました。自炊するとかなり時間を使うな〜と思いながらも、こうした経験を今のうちにしておくことで新しいことに気づけると思っているので、自炊は続けていこうと思います。もちろん、僕の中で効率的に生きる、生産性を高くする。これらは僕が生きる上で重要なテーマです。毎日のルーティンワークを減らすために人が通ればライトがつくセンサーをつけたり、日用品はAmazon定期便を活用したり。人が時間を使ってしなくていいことはどんどん効率化していくべきだと考えています。ただ、それだけでは人生楽しくないとも思います。これを区別する明確なラインは人それぞれです。ライン引きは経験と価値観に紐付いているので、まずは自分の経験、価値観を言語化、棚卸ししてみる。自炊は楽しいので、僕の中ではいま経験してみている最中という感じです。

そろそろ本題に行きます。今日のテーマは、「全世界の人は救えないのか?本当の意味での救うとはなにか?」です。とても大きな話に聞こえるかもしれませんが、とても小さな世界の話をします。ただ、これは日本のどこでも、あるいは世界中で同じことだと思っているのでこのテーマにしました。また、自分が忘れないようにするためという意味も込めて、書いていこうと思います。

ランニングをする際、東京駅の方に行くときに必ずと言っていいほど遭遇する光景があります。それはホームレスの方が段ボールを敷き詰めながら寝ている光景です。

最初見たときに衝撃的でした。僕が生まれ育った熊本市や吹田市にはこのような光景は見たことがなかったからです。大阪梅田にいくと、ごくまれにいますが、何度も行かないので、ホームレスの人って実際にいるんだな〜という感覚でした。ただ、最近はあらゆるところに向けて走っていますが、東京駅の方に向かう際、必ずホームレスの方が寝ているスポットが3つほどあります。僕はここを通るたびに考えさせられます。いま1人暮らしをきちんとしたマンションでできていること。屋根があって、布団があって、洗濯ができること。「自分の現在を作ってくれている人に感謝しないとな」、と感じています。そして、ホームレスの方を救いたいなと思う一方で、「この人たちはなんでホームレスになったのだろう?人生を懸けた挑戦をして失敗したから?何もせずただ堕落した人生を送っていたから?なんでこんな物価の高い東京にいるんだろう?地方ならもっと安い家があるはずなのに?働く気力がないから?」

と、色々想像してしまいます。ここで感じるのはホームレスの方を救えない、救い方がわからない自分の無力さと、世界っていつまでたっても全員が全員ある程度の生活を送ることはできないのかという疑問です。救い方がわからないと書いたのは、「もしここで自分がお金持ちだとして、ホームレスの方に100万円渡したとする。そうすると、このホームレスの方はその100万円をどう使うのだろう?きちんと考えて計画的に使う?一攫千金を狙って競馬に使う?そもそも100万円も必要?」となったからです。お金がないからホームレスになったのだろうと仮定すると、ではお金があったからといってすぐにホームレスから抜け出せても、またすぐにホームレスに逆戻りしてしまう可能性もある。世界がどれだけ便利になって、どれだけ裕福になったとしても、自分の人生を幸せに生きたいと努力できない人間も存在する。では、政府は、人は、自分は、どこまでそういった人々に手を差し伸べるのか。救うという言葉はとてもかっこいい、きれいな言葉のように聞こえるけど、本当の意味での救うとはなんなのか?いま現状は僕にはわからないです。なので、このルートは定期的に走ろうと思います。何が自分の中の正解なのか、こういった人がいるということを忘れないようにするためにも。

最後まで読んでくださった方ありがとうございました。読んだ中でご意見、感想などあればぜひぜひコメント、連絡してください。今日もありがとうございました。

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