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値段に関係なく、モノは大事に長く使いたい

育った家庭の影響か、親の思想なのかわからないけど、私はどうやら「モノを大事に、長く使う」のが好きみたいだ。

「どうやら」としたのは、明確に「好きだ」と言える理由を自覚しているわけでもないし、そういったエピソードを持っているわけでもない。


けれど、古いモノを手入れしながら、直しながら使っている人の話を見聞きすると、すごく気分が良くなる。

最近言われる「持続可能性」「SDGs」は言葉としてはピンときていないけど、意図が伝わる。

小難しく書いてあったり、説明が多いようだけど、「循環する社会」を目指しているのだと解釈した。


リサイクル
エコロジー
みたいに、なんだか似たような志向の言葉も昔からある。

持続可能性と何がどう違うのか、私は説明ができない。


ただ、それらは「物は大事に使いたい」、「物は長く使いたい」という気持ちが私の中にあるのを気づかせてくれた。それは間違いない。


子供の頃、親の口から聞いた言葉で、

「まだ使える」
「もったいない」

というのが記憶に残っている。


子供心としては、「新しいもの」が次から次に欲しくなるのだが、お金の問題なのか思想の問題なのか、「その役割が失われる」までは使うような家だった。

もしかしたら、戦中、戦後の大変な時期を過ごした祖父母と同居していたのが大きいかもしれない。


時代が変わり、そこそこの機能で、そこそこの見栄えのものが、安く大量に出回るようになった。

歳をとって本心がでたせいなのか、親は「壊れたら、次を買ったらいい。今は安くて色々ある」みたいな言い方をするようになった。


新しいものを欲しがって育ったはずの私は、大人になってからこの言葉を聞いて、少々ガッカリしたのを覚えている。

自分自身、働き始めてから独身の間は「散財」した経験がある(といっても高価なモノを買い漁ったわけではない…。そんなにお金持ってなかった)。

適当に買っては、すぐに壊してしまい、買い換えた。。。

ずいぶんと虚しい時を過ごした、と今は思う。


今は、高価だろうが安価だろうが「モノは大事に使う、手入れして長く使う」ことに喜びを感じている。だから、きっと私はそういうのが好きなのだ。

手入れをしている瞬間は、「面倒だな」と感じながら、仕上がりを見て幸せを感じられる。



社会人になって初めてもらったボーナスで、Redwingのアイリッシュセッターを買った。

オイルやクリームで皮のケアをして、アウトソールは3回くらい張り替えて、20年経った今も履いている。

一度、靴の修理屋さんに見てもらったら、「まだまだいける」と太鼓判を押してもらえた。学生時代にエンジニアブーツの手入れを全くしないで、カビを生やしてしまった経験があるから、革靴のケアはちゃんとするようにしている。


家を建てた時も「長く使える家」を念頭に置いて設計士と話していたように思う。そもそも、そういうメーカーを選んだのは「モノは大事に長く使いたい」気持ちからだろう。

そうやって完成した我が家の床や柱は無垢の木材でできている。

だから、1年に1回くらいワックスをかけることを大工さんに勧められた。

家具をどかし、全面の掃除をして、ワックスを塗っていく。

疲れる。

けれど、デコボコの床の傷を見ながら、床の色の変化を見ながら、塗っている時間は満たされた時間だったし、仕上がりの床を見て幸せな気持ちになった。

「また大切に使おう」
「長く使っていこう」
そうやって思えた。


使い捨ての話題、プラスチックの影響、食料廃棄、エネルギー問題、などなど、社会では色々言われる。

私個人はゴミを多く出したくないけど、各人の理解や志向によって家族であっても同じ方向は向きにくい。


難しいことは言えないし、他人を強制するつもりはないけど、私は「モノは大事に長く」使いたい。


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