病気の予防はほどほどに

本はAmazonで買うことが増えて、本屋に足を運ぶことがめっきり減ってしまいました。

それでも「たま〜に」本屋に行ってぶらぶらしていると、健康関連の本がまとめられたコーナーが目につきました。

世の中の健康志向の高まりでしょうか?感染症にかかりたくない人たちのニーズでしょうか?まあ、健康で過ごす時間を増やそうと考えるのは悪いことではありません。

けれど、本のタイトルにしろ、ネット記事のタイトルにしろ、「刺激的なもの」じゃないと目を引かないからか「〇〇病になりたくなかったら〜〜〜」系のタイトルが多いな、と感じました。

「〜〜〜はやめなさい」とか・・・。

本の内容の全てを書く書籍に対して調べたわけではないので、内容については何も言えません。

読んだ人が、正しいもの、怪しいもの、間違ったものに線が引ければいいですけど、必ずしもそうではないですしね。如何ともし難いです。

健康や疾病予防についてはトレンドになってきている感じはありますので、それはそれでいいのかもしれません。

ただ、「〇〇病は防げる」というイメージが強くなりすぎたらどうなるか・・・

「疾病の自己責任論」につながってしまうのではないか?と感じています。

「〇〇病になったのは、あなたが予防を怠ったからだ」

と言われたら、ショックじゃないですか?

私は予防は大事だとは思いますけど、「予防してたって、病菌ある時はなるし、怪我する時はする」と思っています。

だからと言って予防は無駄とは思いませんし、意味はあります。

けれど、「予防の本当の効果」なんてものは証明できないのです。同一人物、同期間で「予防した場合」と「予防しなかった場合」を比較できないのですから。

それなのに、最近は「予防」が商品化されてきて、広まっていっている感じがします。

加齢を病気に仕立て上げ、加齢の予防と称して商品やサービスを売る場合もあるようです。

害がないものがほとんどでしょうけど、害があるものも混ざっているかもしれません。

加齢は病気じゃないですよ。受け入れるものです。加齢が治るという文脈があるとしたら、それって時間を逆行するってことですよね?ありえない。

疾病を自己責任論にしてしまうと、患者はものすごく弱るのです。

場合によっては回復の意思が弱まるほどに。自己否定が強まるのですよね。

症状が改善したとしても自己肯定感が低くなってしまい、その後の人生が辛いものになるかもしれません。

仮定の話ばかりで申し訳ないですけど、社会の流れが妙な方向に向かっていなければいいな、と思う次第です。

「感染対策」という言葉は、言ってみれば予防です。

感染したのは予防をしないからだ、みたいな考え方は攻撃的ですよね?違いますかね。。

個々の対策方法の正しさをぶつけ合う感じになっていますけど、「罹る人は罹るし、平気な人は平気。死ぬ人もいればへっちゃらな人もいる。」そういうことだと思うのですけど、どうやら世間の考え方は違うようです。

死生観なのだと思うのですよね。みんなバラバラでなわけなので、他人の行動のことをごちゃごちゃ言わなきゃいいですよね。

他人の干渉とか村八分的な言動が嫌だから、自分の考えとは違う人生を選択せざるを得ない人もいます。私も村八分は困ります。

自分だけならいいですけど、家族もいますからね。。

変な正義感。そういうのを「予防」から感じます。

そういう私は、「多くの人に病気になる前の予防を知ってもらって、病院のお世話になる人を減らそう!」と考えていた時期がありましたけど、もしかしたらそれは大きなお世話なのかもしれません。

今は、病気になりたくない人にだけ届けばいいか、と緩い感じで考えています。あとは、病気や怪我を繰り返したくない人ですかね。

予防はほどほどに。

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