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手塚治虫先生が発明した、アレについて

静かな時には存在するのに、私の名前を呼んだ瞬間に消えてしまう私とは何でしょうか?

このなぞなぞの答えは、擬音語で表現されます。
※なぞなぞの答えは一番最後に

まずは、擬声語・擬態語についての意味をどうぞ。

擬声語・擬態語
自然界で生じる種々の音や声を言語音で模写した語を擬声語といい、自然界に生起するさまざまの状態を言語音で模写した語を擬態語とよぶ。擬声語は、ゴーン、ドタン、ガタガタなどの語で、擬音語ともいわれる。擬態語は、ベットリ、キラキラ、ツルンなどの語で、擬容語ともいわれる。擬声語・擬態語を総称して、象徴詞、象徴辞、声喩(せいゆ)、オノマトペなどという。
 擬声語・擬態語は、語音と意味との間に心理的な必然関係をもつ特殊な語である。たとえば、「古寺の鐘がゴーンと鳴る」と聞くと、鐘の音そのものをじかに耳にする思いがする。「べっとり血がつく」と聞けば、粘り気のある血が一面にこびりついているあの嫌な感触をただちに思い起こす。このように、擬声語・擬態語は、語音と意味とが直接的に結び付いているため、理性よりも感情に訴え、迫真的効果をあげる。絵本や童話、漫画や劇画に擬声語・擬態語が多用されるのは、こうした擬声語・擬態語の特殊な効果を期待したものである。「海」「泳ぐ」「青い」などの普通の語では、語音と意味とが直接的に結び付いているのではなく、社会的な約束によって結び付けられた間接的な関係にある。したがって、普通の語には、擬声語・擬態語のもつ迫真性はない。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説より)


さまざまな音を言葉で表現したものを指すのですが、私が世紀の大発明と思っているオノマトペは「シーン」です。無音の擬音を表現する音「シーン」。もはや死語となっているかと思いますが、何かを言った後に無反応だった場合「シーン」って言うアレです。


漫画ではよく使われているかと思いますが、アレを発明したのが石ノ森章太郎か手塚治虫かの論争はあるようです。

「音でない音」を描くこともある。音ひとつしない場面に「シーン」と書くのは、じつはなにをかくそうぼくが始めたものだ。
 このほか、ものが消えるとき「フッ」と書いたり、顔をあからめるとき「ポーッ」と書いたり、木の葉がおちるときに「ヒラヒラ」と書くなど、文章から転用された効果は多い。
「マンガの描き方」手塚治虫

とのことなので、ここでは手塚治虫先生が発明したということにしますね。


シーン」の発明は手塚先生だとしても、どうやら語源を辿って行くと、漢語由来の「しんしん」(深々、森々、沈々)や、それが変化した「しんと」が由来とされているようです。

確かに、「雪がしんしんと降り積もる」「夜がしんしんと更ける」は、よくされる表現ですし、夏目漱石の小説にも「夜はしんとしていた」「有らん限りの木も山も谷もしんと静まった時」「すべての世界がしんと静まり返るまで」とよく使われているように、日常的に昔から使われてきた言葉のように思います。


ちなみに、英語で音のない状態は”Silence(静寂)”と説明するしかないので、オノマトペ(擬声語・擬態語)があることに驚くそうですよ。静まり返った様子をどうしても音や言葉で表現したくてできたのか、自然発生的に生まれちゃったのかは分かりませんが、その音を発生したり言葉で表現した時点でなくなってしまうという矛盾に興味津々です。


もうお分かりかと思いますが、なぞなぞの答えは「静寂」でした!


前回の記事では、世界の言葉で「ワンワン」を表現について書いたので、こちらもよかったらどうぞ。


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