脳みそが好きなんだ。

Sというヤバイ男がいた。
ソイツとは幼少期から関わりがあって、基本話すことはほとんどなかったが
まあおよそまともな奴ではなかった。

彼は今思うと家庭の事情で苦労をしていたのかも分からないが
日頃の行動があまり好ましいものではなかった。そのため、周りの人間からかなり嫌われていた。

小学生の頃はよく指を舐めていたし、休み時間になると急に服を脱いでいることもあった。
声は無駄に空回りしていて大きいし、普段何を言っているのか全然分からなかった。
あと女子を追いかけ回して泣かせていたのを覚えている。

彼なりのスキンシップのつもりなのだと思うが
急に近寄ってきては男女構わずほっぺにキスをしてくることもあった。
僕もされたことがあるが、かなり唾液が多いので
今でもそのしっとり感を思い出せてしまう。最悪の思い出である。

中学の頃の話だ。
中学生といえば、多くは性への関心が非常に大きくなる年頃だろう。
尽きぬ性欲。それとは裏腹に訪れる羞恥心。
そして何よりも、多感な時期に、人間は人間に対して恋をするようになるらしい。
かくいうSも、その一人だった。

Sは勉強も運動もできず、そして会話もろくに成立しない。
彼は学校でも浮いた存在だった。
しかしある日、そんな彼も、恋をした。

野次馬根性で、何人かで集まってSの話を聞いた。
どうやら好きな子は同じクラスのKさんとのこと。

Kさんは勉強がかなり出来る女の子だ。
テストの点数は常時学年1位、そんなタイプの子だ。
なるほど、Sとは遠い次元にいる存在だ。
そう思っていると、話を聞いていたうちの一人の子が質問した。
「なんでKさんのことが好きなの?」
Sはそれにすかさず返答した。





「脳みそがいいから…」




脳みそて。
もっといい言い方があるだろ。頭がいいとか。
てか見た目とか性格よりも頭の良さを重視する人が世の中にいるんだ。
いや、もしかしたら本当に脳みそが好きなのかもしれないな…?そんなやついるのか…?
話を聞いた瞬間、いろいろなことが頭を、いや、脳みそを駆け巡った。


--あなたには好きな人はいるだろうか。
恋人でもよし、家族でもよし、友達でもよし。
好きな人がいないなんてことはあるだろうか。
多分、人と関わってきたことがある人にそんな人はいないだろう。

では、あなたはその人のどこが好きだろうか?
顔が良いこと?
性格が良いこと?
背が高いこと?
声が良いこと?
さまざまな理由があることだろう。もしかしたら、あなたにとってはその人の全てが好きかもしれない。

では、仮にあなたの好きな人が取り返しのつかない事故に巻き込まれてしまい
顔を/自分以外の記憶を/声を/姿を失ってしまったとしたら
あなたはその人のことを好きでいられるだろうか?
好きでいられるとしたら、何がそうさせているのだろうか?

容姿は、人を形作る一つの要素でしかない。
逆をいうと、性格は/体は/声は人を形作る一つの要素でしかない。
それぞれ、個体差といえばそれまでである。

なぜ人の好みが人の数だけあるのか。
脳みそが人の数だけあるためだ。
人は、人が幸せに感じることを「好きだ」と判断していく。
好きなものを好きと判断する度に、脳みそが作用しているのだろう。
それはあなたが嫌いなことを嫌いだと判断するのも同じだ。

脳みそは、表面上では見えていなくても
その人を語る上ではなくてはならないものなのだろう。
きっと、脳みそありきの、感情なのだから。



--顔よりも体よりも、その人の脳みそが好き。
価値観が好き、人間性が好き、よりも遥かに卓越した「好き」なんだろう、と思った。
S本人はさほど大きな意図を持っていない可能性もあるが、今まで見た目の部分を強く見ていた当時の自分にとって
その概念が一つの価値観になった。

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