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熱狂的に香りが好きだったウォーホルが最も愛した香水とは [VOGUE 2022年4月21日]

Vogueのウェブ版を翻訳しています。

今回はアンディ・ウォーホルに関するお話です。先日までニューヨークの嗅覚アート専門という異色のギャラリー、Olfactory Art Kellerのグループ展で、アンディ・ウォーホルの香りを展示していました。展覧会のテーマが"Portrait in Scent"で、アーティストは様々な人物をイメージして香りをつくったのですが、私がアンディ・ウォーホルを選ぶきっかけとなったのがこの記事です。

展覧会の詳細はこちら

そして今、京都でアンディ・ウォーホル展が開催中ですね。


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熱狂的に香りが好きだったウォーホルが最も愛した香水とは

BY LAUREN VALENTI
2022年4月21日

アンディ・ウォーホルが話題の中心に戻ってきた。Netflixで最近配信されたドキュメンタリー番組『The Andy Warhol Diaries』はレンズの向こうのウォーホルの謎めいた人生に迫り、ブルックリン美術館で現在開催されている「アンディ・ウォーホル:黙示録」展では彼の作品に与えたカトリックの影響を検証しており、この象徴的なアーティストの世界を深く掘り下げるのに今ほどよいタイミングはない。実際「黙示録」展の一環として、香りの文化ライターであり、教育者、そしてブルックリン美術館の体験担当マネージャーであるジェシカ・マーフィーが、あまり知られていないウォーホルの香りの想像力と香りへの情熱について光を当てている。マーフィーは6月までの間毎月、展示作品と特別な香水コレクションを組み合わせながら、ウォーホルの長年にわたる香りへの関心に焦点を当てた香りのツアーを開催している。

「アンディは香りには過去と現在をつなぐ特別な力があるという考えを書き記した」とマーフィーは話す。さらに、ウォーホルは高級フレグランスへのこだわりに加え、愛するニューヨークなどのさまざまな場所の香り(ホットドッグカート、お気に入りの本屋、グランドセントラルの線路など街のお気に入りの香り)を集めて、ボトルを開けるだけでその場所を再訪できるようにしようと考えたらしい。「彼の作品と香りを組み合わせることで、彼のアートを嗅覚で楽しむことができる」とマーフィーは説明した。

ウォーホルの人生の始まりに立ち戻り、「黙示録」の香りの旅はウォーホルの香りへの愛、さらに香水瓶をオブジェとして鑑賞したことが彼のカトリック信仰に由来していると考える。ウォーホルはピッツバーグで育ち、家族と一緒にビザンチン・カトリック教会のミサに毎週参加していた。この教会は東方カトリックの儀式に従っており、五感を使うことができる。「ミサではロウソクの光、聖歌、植物の樹脂やスパイスから作られた豊かな香りを楽しむことができた。これはウォーホルが若い頃に定期的に体験した本当に特別な香りだっただろう。」とマーフィーは説明した。彼女自身もカトリック教徒であり、カトリックには数珠や祈祷書、聖人像など、宗教的な信仰にまつわる道具がたくさんあることを強調する。「カトリック教徒は意味や象徴を持つアイテムとともに成長する。ウォーホルの香水瓶のコレクションを含むオブジェへの愛情が、そのような生い立ちと結びついていた可能性があることは完全に理解できる。」と彼女は話した。

ウォーホルが初めて香水に触れたのはピッツバーグのカーネギー工科大学での美術学校時代で、香水売り場を持つ地元のデパート、ジョセフ・ホーンズで夏休みにウィンドウディスプレイの仕事をしたのがきっかけだとマーフィーは推測している。1949年に卒業した後ニューヨークに移り住み、高級百貨店ボンウィット・テラーで香水をテーマにしたウィンドウを手がけ、その後大手美容メーカーのイラストを手がけるようになり、香水の世界に足を踏み入れることになった。「1950年代に商業イラストレーターとしてキャリアをスタートさせたウォーホルは、ヴォーグやハーパーズ・バザールなどの雑誌にさまざまなブランドの香水瓶を含む美容製品の絵を何十枚も描いている。商業的な仕事以外にも、彼は50年代から60年代にかけて香水のボトルやその他の化粧品を題材にしたドローイングを数多く制作しており、ちょうど彼がポップアートで他の身近な消費財を描き始めた頃だった。」とマーフィーは説明する。

ウォーホルが定期的に香水を身につけ、今や伝説となった個人的な香水コレクションを増やし始めたのは60年代初頭のことだ。(ピッツバーグのアンディ・ウォーホル美術館にはウォーホルの所有物が数百点収蔵されており、香水が数多く展示されている。)「アンディは、ある香水を数カ月間つけては別の香水に変えていくので、彼の人生の短い期間にはそれぞれ独自の香りの関連性がある。」とマーフィーは説明する。ウォーホルはまた、30年代や40年代の古い雑誌に掲載された香水の広告を見るのが好きで、カラフルな名前からどんな香りがするのだろうと思ったと書いている。 その多くは、遥か彼方にある場所や王室、華やかなナイトライフからインスピレーションを受けた、オープニングナイト、プリンセスオブウェールズ、ガーデニアデタヒチなどの名前で、ウォーホルは「どれもこれも香りを嗅ぎたいから気が狂いそうだ!」と言っていたそうだ。

ウォーホルの好みは常に進化していたが、継続して使用するいくつかのお気に入りの香りがあった。そのひとつがシャネルの5番である。「彼は女性だけでなく男性にも使えると思っていたようだ。」とマーフィーは言う。ブームになる前からフレグランスにジェンダーレスなアプローチをとっていたアンディは、仲間のデザイナーが手がけた香りも集めていた。「アンディはホルストンの女性用フレグランスをよくつけていて、それは彼とホルストンが友人で個人的な付き合いがあったからだ。」と彼女は説明し、ピエール・カルダンやイヴ・サンローランの香水、たとえばYSL pour Hommeやスタジオ54で人気のオピウムなども持っていたと付け加えた。ウォーホルはキャロンやゲランといったフランスの香水も好きで、親友の写真家クリストファー・メイコスによると、パリにいるときはいつも美しいボトルやパッケージの香水を買うのが楽しみだったそうだ。

1987年に胆嚢の手術後に急死したウォーホルは、晩年まで香りを集めており、友人たちがマンハッタンのタウンハウスの中身を記録した中には彼の個人的な香水も含まれていた。「ゲランのアビルージュ、ジェフリー・ビーンのグレー・フランネル、ファベルジェ・キク、そしてマンハッタンの小さな香水店シェリー・マークスの香りなどだった。亡くなる直前に入院したとき、バッグの中にエスティローダーのユースデューのボトルが入っていたと伝えられている。」とマーフィーは説明した。私生活でも作品でも香りは、香りとしてもデザイン性の高いブランド品としても、モダンアートに革命を起こしたウォーホルにとって常にインスピレーションの源であったことは明らかである。マーフィーは、ハルストン製品の広告や1950年代のシャネルNo.5の雑誌広告をスクリーンプリントに転用した例などを挙げて次のように説明した。「アンディがやったことはすべてそうであるように、コマーシャルワークとファインアートの重なり合いの中に香りが現れる。香水は多くの人にとって高級ブランドへの入り口であり、身近で大量生産されるアイテムとしてウォーホルの完璧な被写体でもあった。コーラやキャンベルスープの缶を誰もが楽しめるように、香水も誰もが嗅ぐことができるのだ。」

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Photo: Warhol in New York City, 1968Photo: Getty Images

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