見出し画像

第二章 なぜ台湾に留学したか〜確信に変わるまでのプロセス〜


中国語を本格的に勉強しようと思ったらきっかけは、高校1年生の時またアメリカに行く切符をもぎ取った事が関係します。

私の大好きな大好きな高校の英語教論が、「ゆうみ〜ノーブルズいかねぇか?」と、廊下で話しかけてきたのです。ノーブルズとはマサチューセッツ州ボストンにある姉妹校で、私の高校と定期的に交換留学をしていました。
その当時、英語は話すのは好きだけど勉強するのが苦手で、英語の成績は別に良くありませんでした。笑
しかし優しいマスコットキャラのような先生が一声かけてくれたのをきっかけに、アメリカに行きたい欲が高まります。しかし校内で募集してる人数は2人…
私は商業科に進学し、申請する生徒の多くは国際文化科の生徒のはず。また交換留学に行くということは、受け入れもしなければならない。そして何より学費は免除でも渡米費として20万円以上のお金がかかる。

どうしたものか。無茶な挑戦ではあるし、私は別に英語は上手くない。むしろノリとフィーリングで生きてきた人間。でも行きたい。田舎じゃ無くて都会のアメリカにいきたい。フルハウスを感じたい!(またかいっ笑)

欲が勝り、まず最初のボス。両親を納得させることから始まります。
特に私の父。これが厄介。
あーいえばこーいう。彼とのディベートで勝てたことは一度もなく、かなりの強敵。むしろ相手にしたくない(当時はかなり面倒くさいと思っていました。ごめんねパパ笑)
しかし彼に負けたくないと思った私は初めて両親にプレゼンをするのです。

何故、今、私がアメリカに行きたいのか。

メリットやデメリット、渡米費について、今後の留学生受け入れをしなければならない事について、多分初めて本気で話しました。絶対私に投資してもらう!という気持ちが父に伝わったのか、初めて首を縦に振ってもらった時は嬉しさよりも安堵感が勝り、力が抜けました笑

しかしこれはまだ序の口。

次は校内選考です。2人の枠に15人ほどの応募者、商業科からは私のみの応募。小論文を書き、その後日本語と英語での面談。私自身元々海外に行きたいという気持ちも強かったので、中国では茶道部、高校では華道部とボランティア同好会に入り(かなり計画的笑)、「私は日本文化が大好きです!それを広めたい!!!みんなに体験してもらいたい!!!」と熱くアピールしました笑

結果、なんとか2人の枠に入ることができ、今度は「ほぼ」自分の力でアメリカへの切符を手にしました。(金銭面は親の脛かじりました)

さて、長いね。このストーリー。
まだ2度目のアメリカ体験してません。笑
まあここから、大好きな可愛い先輩と一緒にアメリカに行くわけですが、アメリカ編はお次にします🇺🇸


ユウミ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?