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小学校に行くことをやめた話

我が家の長男は11歳。
小学校でいうと5年生。

学校に行かなくなったのは4年生の秋頃。
それから、放課後たまに学校に顔を出す程度で、授業は受けてない。
家でのんびりと好きなこと(主にゲームと動画)をして過ごしてる。
5年に上がる前にコロナで休校。突然の休校だったけど、我が家はもうずっと行ってないから、日常生活は変わっていない。

4年の秋から行ってない学校だけど、みんなと同じように学校生活を送ったのは2年間くらい。

入学式の日、校門が見えたところで「行きたくない」と。なんとか校内には入ったものの、新入生の列には並べず、体育館の後ろの保護者席に座る。式の後半、先生の促しで新入生の席に移動するも、母である私と一緒に行く。私は新入生と共に退場した。
登校班で登校が出来ず、私と一緒に登校。
最初の1ヶ月くらいは教室に着けば、なんとか流れにのって過ごせていたけど、段々と教室に入れなくなり、校門もくぐれなくなり…家ではパニックになることが多くなって、しばらくお休みをした。
出来れば学校に行ってほしくて、一緒に保健室で過ごさせてもらったりしながら、学校生活を見学する毎日。1年生の終わりの頃には教室にも入れるように。
長男がよく言ってた
「なんで、みんなが出来ることが自分には出来ないんだ」と
みんなが当たり前に出来ることが自分には出来ない。
ドリルを丁寧になぞり、漢字をノート一杯に書く。
簡単な足し算を何度も繰り返しやる。
ひらがなばかりの教科書を読む。
宿題を毎日やる。
絵を書く。
図工で何かを作る。
とか、そんなの当たり前にやれるであろうことが長男には出来なかった。
振り返れば、出来ないではなく、やる気になれなかった。

私が次男の出産で産休に入った2年生の6月、大きいお腹を抱えて、出産当日まで教室に付き合った。産まれてからは父親と登校。教室まで送っていたのを、昇降口まで、校門まで、登校班の集合場所までと変えて行き、7月には一人で登校出来るようになった。
それから、2年間、時々休んだりもしたけど、学校生活を送れるようになった。

2年間で逞しくなったようにも思えたけど、かなり無理をして過ごしていたんだと思う。
4年の秋の運動会が終わってから、登校する日が減ってきて、行かなくなった。

最初は「行きたくない」とか「行けそうにない」とかだったけど、「行かない」に変わっていった。

行きたくないなら、行かなくてもいいよ。
行きたいなら、どうやって行くか一緒に考えよう。
作戦会議をしたりもしたけど、どれも実行には至らなかった。

でも、学校に行かなくなって、気持ちが落ち着いて穏やかに過ごすことが増えてきた。
放課後の時間に仲の良い友達と遊んだりすることもできた。仲の良い友達は「なんで学校来ないの?」って聞かないから、気持ちが楽なんだと言っていた。

友達とは遊びたいけど、学校は行きたくない

そうゆうもんか、と思い、彼の気持ちに寄り添って過ごした。

コロナで突然の休校

「4年の間に1日くらい行けたらと思ったけど、残念だわー」とつぶやく長男
先生との相性も良かったから、余計に残念だった様子。

5年になって、今までと違う学校生活が予想出来た長男、「学校はこの1年は行かないかなー」と

代わりにと思って探したスクールが彼にマッチして、いまは楽しく通っている。
みんなで話し合ってルールを作って、好きな時間を過ごせるスクール。なにかをやりたいときは自分が提案して話し合うスクール。
これをしないとならないとか、みんなで一斉に何かをやるとか、宿題とか、テストとか、なーんにもない、自由なスクール。

長男をみてくれている臨床心理士さんが、
自由がいいんだね、ルールとかに縛られるのがダメなんだねーと。勉強はやりたいと思えば飲み込みは早いから、心配する必要がないよ。と
サラッと話していた。

長男をみていると、なんでこんなに窮屈な思いを子どもにさせていたのだろうと、反省させられる。
と同時に、
小学校は学力がなくても、ありすぎても、どちらも馴染まないところなのだと痛感する。
いわゆる普通以下でも、普通以上でもない、普通の子たちを量産している場所が小学校なのかもと。
どちらにはみ出ても、煙たがられる。

もっと、いろんな価値観、やり方、考え方を認められる場所ならいいのになとおもう。

周りと違うからって、ダメな訳ではない。不幸ではない。
ひとり一人が輝ける場所とその可能性を伸ばせるのが教育なのでは?と。


きっと、輝ける場所が他にあるはずなんだと。

#8月31日の夜に

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