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若返り薬は可能なのか? 最新科学レポ

 どれほどの権力とどれほどの金があっても、老いと死から人間は逃げられない。だから不老不死はあらゆる権力者が最後に抱く夢だ。古代中国の秦の始皇帝が不老不死の仙薬を探すため、徐福を蓬莱=日本に遣わせた話は有名だ。西洋でも錬金術師は永遠の命を生み出す霊薬エリクサーを作り出そうとし、不老不死の男サンジェルマン伯爵の伝説は今も人を魅了する。
 不老不死を手に入れたいと願う人間の衝動は、21世紀に至ってもまるで変わっていない。
 グーグルがIT企業の枠を超え、さまざまな分野に投資を始めていることは広く知られている。グーグルの子会社である医療ベンチャー企業のCalico(カリコ)社は、シカゴに拠点を持つ製薬大手のAbbVie(アッヴィ)社と提携し、15億ドルの基金を創設、サンフランシスコに抗ガン剤と抗アルツハイマー薬の研究開発センターを作ると発表した。これは彼らが目指すゴールのほんの一歩に過ぎない。同社CEOのアル・レビンソンによれば、Calico社の目的は「cure death=死を治療すること」であり、寿命を伸ばす医療技術の確立なのだ。
 そんな夢の不老不死がもし可能になるとしたら? 死は避けられなくても、今までよりも長く生きることができたら? 若返ることが可能になるとしたら? それは大げさに言えば、人類の歴史や貨幣価値が変わるほどの衝撃だ。少なくとも石油の発見に匹敵する大転換を社会に引き起こすだろう。
 鍵となるのがサーチュイン遺伝子とテロメアだ。
 サーチュイン遺伝子はマサチューセッツ工科大学のレオナルド・ ギャランテ教授らによって発見された遺伝子を指す。元々は酵母の性決定遺伝子を抑制するタンパク質として特定され、Sir2(Silent information regulatorの2番目)と名付けられた。これを略してSir2=SirTwo=SIRTと呼び、バクテリアから人間まで細胞に核を持つ生き物はすべてこのタンパク質を持つ。
 Sir2は遺伝していくので、遺伝子。遺伝子=DNAと短絡してしまうが、細胞の中の他の要素も遺伝するのだ。そして人間を含める哺乳類はSir2とよく似た遺伝子を7つ、SIRT1~7まで保持している。そのうちSIRT1がもっともSir2に働きが近い。
 Sir2はDNAからRNAへ遺伝情報をコピーする際に利用する酵素に関係し、この酵素をサーチュインと呼ぶ。Sir2やそれと同じ働きをする遺伝子群が通称サーチュイン遺伝子だ。だから人間の場合、一般にサーチュイン遺伝子と言う場合はSIRT1を指すことが多い。
 レオナルド・ ギャランテ教授はSir2を壊した酵母の寿命が短くなり、過剰に与えると寿命が延びることを発見した。そこで酵母よりももっと複雑な生き物、線虫やショウジョウバエにもSir2を与えると、線虫で50%、ショウジョウバエで30%寿命が延びる結果が出た。世界中で追試が行われ、差はあるものの、寿命を延ばすことはどうやら間違いないらしい。
 メカニズムのわかり始めている。
 2014年に情報・システム研究機構 国立遺伝学研究所が発表した酵母を使った実験によると、老化に伴ってリボソームRNA反復遺伝子群という遺伝子が不安定化しするという。若い細胞ではこの遺伝子が安定している。老化にはいくつもの側面があるが、そのひとつがリボソームRNA反復遺伝子群の安定か不安定かなのだ。
 リボソームRNA反復遺伝子群を人為的に安定化させると、Sir2を欠損させても寿命は延びる。Sir2を欠損させるとリボソームRNA反復遺伝子群は不安定化し寿命が半分に縮まる。
 Sir2はリボソームRNA反復遺伝子群を安定化させる働きがあり、それが細胞の寿命を延ばすのだ。
 サーチュイン遺伝子を活性化させ、サーチュインを増やせば寿命が延びる。
 ではどうすればサーチュイン遺伝子をより多く発動させることができるのか?
 サーチュイン遺伝子とストレスは密接な関係があるらしい。それは空腹、低酸素、温熱、運動だ。ストレスに対して細胞はさまざまな物質を作り出して抵抗するが、その鍵となるのがサーチュイン遺伝子なのだ。
 空腹、すなわちカロリー制限が生物の寿命を延ばすらしいことがわかったのは、1935年のことだ。コーネル大学のマッケイらのマウスを使ったカロリー制限実験によって判明していた。この時、マウスの寿命はおよそ40%延びたという。そしてそれが決定的になったのが、ウィスコンシン国立霊長類研究センターで現在も継続中のアカゲザルを使った実験だ。
 2009年に発表された論文『Caloric Restriction Delays Disease Onset and Mortality in Rhesus Monkeys.』によれば、通常のカロリーのエサを与えたサルが50%生存している時、30%のカロリー制限をしたサルは80%も生存していたという。しかも糖尿病やガン、脳の委縮など加齢に伴う疾患が大幅に減った。実際のサルを比較すると、通常食のサルの毛が抜け、目は白濁し、筋肉も衰えているのに対して、カロリー制限をしたサルは毛はフサフサと生え、運動能力も高い。いわゆる若いのだ。
 人間でも同じことが起きるのか? 第二次世界大戦中、戦乱に巻き込まれたスカンジナビア半島の人々はカロリーが20%少ない食事しかとれなかったが、心臓病の発生率が減少した。沖縄の長寿食の研究やボランティアを使ったカロリー制限の実験でも、血圧や血糖値が正常になり、老化に伴う疾患が減少することがわかっている。
 Sir2がカロリー制限とどう関わってくるのか? Sir2を欠乏させるとカロリー制限による効果が見られなくなる。どうやらカロリー制限というストレスに対抗するため、Sir2がDNAからRNAの転写を抑制し、細胞を安定化させているらしい。
 低酸素や温熱、運動などでもSir2は活性化する。もし長生きしたければ、まずカロリー制限。一般成人の1日の摂取カロリーは約2000キロカロリーだから、これは1400キロカロリー前後、ようは糖尿病食並みまで落とす。そして体を冷やさないようにし、適度な運動をする。過剰な運動は酸素を取り込みすぎるため、Sir2の発動を抑えてしまうので要注意だ。
 しかし、これではまるで人生が楽しくない。少食にちょっと運動、いつも体を冷やさないようにするなんて老人のような生活ではないか。好き放題に生きて、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、それでもサーチュイン遺伝子が過剰に働く状態を作ることはできないか?

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不老不死を実現する物質を探して

 今、その物質を探る研究が進んでいる。
 その代表がNMN(Nicotinamide mononucleotide:ニコチンアミドモノヌクレオチド)だ。NAD+という物質が細胞内で作られる途中にNMNができる。NAD+とSir2は密接な関係がある。Sir2が活性化するとNAD+が増えるのだ。ならばNMNを与えることでNAD+が増え、Sir2が活性化したのと同じ状態が作れないか? マウスを使った実験では、NMNを与えることで老化に伴うミトコンドリアの機能低下を抑制したり、高脂質食を与えたマウスの糖尿病の発生を抑制できることが判明した。若返るのだ。
 ではいっそのことNAD自体を与えたらどうか? ハーバート大学のデビッド・シンクレアらは2歳のマウスの細胞にNADを投与した。すると生後2週間の細胞のように活発に活動を始めたという。
 NMNやNADはもっとも若返り薬に近い物質らしい。NMNは日本では日清製粉の関連会社であるオリエンタル酵母工業株式会社が試薬の作製を始めていて、日清製粉の株価が上がるなどちょっとした騒ぎになった。
 ただしNMNはものすごく高価だ。アメリカで試薬として販売されているNMNは25mgで1万6250ドル、日本円で200万円近くもする。人間に投与する場合にどのくらいの量が必要かはまだわからないが、常識的に考えて、アンチエイジングに使える値段ではない。
 そこで一般的な食べ物の中にSir2を活性化させる物質が含まれていないか、研究が進んでいる。有名なところではポリフェーノールの一種のレスベラトロールだ。
 植物の赤い色素、ポリフェノールは赤ワインに含まれていて心臓疾患予防すると言われている。ポリフェノールは数百種類が知られていて、レスベラトロールはその一つ。
 米ハーバード大学医学部の研究で、レスベラトロールを酵母に投与したところSir2が活性化、酵母の寿命が70%も延びたという。
 では哺乳類にも有効なのか? 
 同じくハーバート大医学部でバウアーらがマウスに高脂質・高カロリー食に0.04%のレスベラトロールを加えて与えたところ、通常食のマウスと同じ寿命だったという(レスベラトロールをエサに添加しないマウスの寿命は短くなった)。残念ながら肥満は解消しなかったが、肥満に伴う糖尿病などの疾患は起きなかったという。
 レスベラトロールは若返りに効くのではないか?
 サーチュイン遺伝子の活性増強剤なるものも特許出願されている(出願番号PCT/JP2013/074939)。出願しているのは、仁丹で有名な森下仁丹。特許公報によると、出願されているサーチュイン遺伝子活性増強剤はザクロ由来のエラジタンニンなどのポリフェノールを主要成分にしたタイプとカフェオールなどのテルペノイドを主要成分にした2タイプ。基本はザクロだが、「ニッケイ、大麦、ケール、人参、エルダーフラワー、茶、ローズマリー、バラ、サクラ、ショウガ、赤ショウガ、黒ショウガ、ユキノシタ、ユーカリ、月見草、コーヒー、カンゾウおよびマツヨイグサなどの草本、樹木等、ならびにそれらの組み合わせ」(同公報)から当該物質を抽出、医薬品や食品、化粧品などに添加して利用する。
 では実際にサーチュイン遺伝子活性増強剤はサーチュイン遺伝子を活性化させたのか?  遺伝子が発動しているかどうかは、目標とするDNAの遺伝子領域のプロモーター活性(DNAからRNAに遺伝情報がコピーされ、それに基づいて合成されるタンパク質の発生度合)で確認する。
 増強剤として選ばれた抽出物質ごと、素材ごとのプロモーター活性は総じて上がっており、こうした食材にサーチュイン遺伝子の発動を促す薬理効果があるらしい。データを見るとザクロよりも肉桂黒皮(中でも阿久根市産の物)と黒ショウガのプロモーター活性度の方が高い。香辛料と果物では摂取量もコストも変わってくるので一概に比較はできないが、必ずしもザクロにこだわる必要はないらしい。
 別の研究では黒ショウガ(黒ウコンともいう。主にタイではクラチャイダムという名前で栽培され、滋養強壮、精力増進、血糖値の低下などに用いられている)はレスベラトロールのおよそ10倍のサーチュイン遺伝子活性作用があるという。遺伝子操作をした内臓脂肪蓄積型肥満マウス=人工的にメタボリックシンドロームにしたマウスに、1カ月間黒ショウガエキスを飼料に混ぜて与えたところ、体重と内臓脂肪の減少が見られた。
 コーヒー由来のカフェオールも同活性度が高いので、コーヒーを飲むとサーチュイン遺伝子が活性化するのかもしれない(ただし量の問題があるので、期待はしないでほしい)。
 森下仁丹では他にもザクロの機能性を調べており、乳酸菌の一種のビフィズス菌の生存率を上げたり、抗糖化作用があることなどを突き止めている。
 サーチュイン遺伝子の発動が細胞の若返りを起こすなら、糖化は老化を引き起こす大きな原因の一つだ。
 食べ物を調理すると焦げができる。キャラメルが一番わかりやすいが、パンでもステーキでも、この焦げが香ばしくておいしい。焦げができる反応をメイラード反応という。この焦げ、体内に入るとその10%前後がコラーゲン繊維に取りつく。コラーゲンは皮膚を下支えするスプリングのような働きをしているが、ここに焦げが貼りつくと肌は弾力を失ってしまうのだ。
 食べ物の焦げが発がん性物質だと過去に騒がれたこともあったが、あれは量が桁違いに必要(人間1人あたり数十~数百トン単位である)なので、理屈は間違ってはいないが非現実的でまったく無視していい。しかしコラーゲンの弾力を奪うことは日常的に起きている
。余談だが、もし肌の張りを取り戻したければ、焦げがコラーゲンに吸着する前に取り除けばいい。これには食用炭が適していて、炭に焦げが吸着、体内に吸収される量が減少して肌は20日ほどで張りを取り戻す(金沢医科大発のベンチャー企業がセルロースを使った食用炭で肌の弾力と食物の焦げの関係を論文発表している)。
 メイラード反応は体の中でも起きている。タンパク質と糖がメイラード反応を起こし、肌のくすみや弾力の低下、糖尿病の合併症(白内障、動脈硬化、腎臓機能障害など)のような深刻な健康被害も引き起こす。
 森下仁丹はザクロエキスは体内のメイラード反応を阻害し、さらにメイラード反応の最終糖化産物 (AGEs) を分解する作用があることを突き止めた。サーチュイン遺伝子とはまた別の経路で、ザクロはアンチエイジングにも作用するわけだ。
 ただし! ややこしくなっているのは、2015年9月にロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ健康加齢研究所のデビット・ジェイムズらが、寿命にサーチュイン遺伝子は関係していないという論文を出したことだ。サーチュイン遺伝子は老化に伴う遺伝子の不安定化を抑制し、疾病を予防する。だが、細胞の寿命そのものを延ばすわけではないというのだ。レオナルド・ ギャランテ教授も実験の不備を認めており、雲行きが怪しくなっている。
 とはいえサーチュイン遺伝子が発動すると健康になることは間違いない(これはデビット・ジェイムズらも認めている)。しかし健康と細胞の寿命は別の話であり、サーチュイン遺伝子の活性化=長寿とは言えないというのだ。たしかに病気でも長生きする人はいるので、一理ある。
 サーチュイン遺伝子を活性化させることで不老に近づくことはできる。しかし不死、寿命を延ばすためには別のメカニズムを解明しなくてはならない。
 テロメアという細胞分裂に関わるDNAがある。DNAの二重らせん構造の根元にあり、他の遺伝コードがタンパク質合成などに使われるのに対して、この部分は役に立っていない。しかし細胞が分裂するたびに、テロメアは短くなっていく。テロメアが一定以上短くなると分裂が止まり、細胞は死ぬ。逆に言えば、テロメアが短くならなければ、細胞は分裂し続けることが可能で、事実上、不死になるのではないか?(なお、サーチュイン遺伝子がテロメアを保護し、細胞の寿命を延ばすという説もあるが、デビット・ジェイムズの研究を信じるならこれは怪しい)。
 テロメア自体を伸ばす物質探しも進んでいる。すでに一般販売もされているTA-65がそれだ(30カプセルで1万円前後)。漢方薬に使われる黄耆(ナオウギ)というマメ科の植物には抗ガン作用や水分の排出作用がある。これから抽出したシクロアストラジェノールがその主成分。この物質はテロメアを伸ばすテロメーゼという酵素を活性化させるという。
 実際、飲んでいる人に話を聞いたが、体感できるほどの効果は感じられないそうで、不老不死はなかなかに難しい。
 老いとは何か? 死とは何か? それがようやく人間にもわかり始めたというのが現状だろう。将来、サーチュイン遺伝子は若返りにも関係なかったとわかったとしても、だからといって現在までの研究が無になるわけではない。一歩づつ、迷いながらも私たちは生命の謎へと足を踏み入れていけばいい。その先に何を見つけ出すのかは、今の一歩から始まっているのだ。

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