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自己紹介

YOU MAKE MI-SO HAPPY! 代表 Yumiso
みそソムリエ認定協会 認定みそソムリエ


「朝の食卓には、"おみそ汁"が定番」
 
朝食におみそ汁が定番の家庭に生まれ、毎晩、翌朝のおみそ汁の出汁をとる母の姿を見ながら育ちました。

 小学校4年生の時に、国内およびアメリカへの引っ越しを続けて2度経験。国内では転校生、異国の地では外国人として過ごし、新しい環境で生きていくための術として、人を観察することや、言葉以外のコミュニケーション方法を自然と学び、身に着けるようになりました。


「アメリカでも、我が家に欠かせない"おみそ"の存在」
アメリカでも和食を自宅で食べられるようにと、母は車でアジア商店などを回り、食材を探してはおみそ汁をつくるのが日課。

文化も言葉も全く異なるアメリカで生活をし始めた頃は、時には日本が恋しくなることも。そんな時は母につくってもらったおみそ汁を飲むと心に沁みて、遠い日本を思い出す日々もありました。 

アメリカでは英語が全く話せない中、現地校に通うことに。そんな中、友達が自宅に遊びに来てくれた時は、母と一緒にご飯を炊き、おみそ汁を用意。
たとえ英語が話せない、わからなくても"食を通じてコミュニケーション"が取れることに気づいたのもこの頃でした。 

またアメリカでの長期休暇の際は、車中移動で10日以上かけて家族旅行することも。車のトランクに白米、おみそ、ポータブル炊飯器を積むことは、家族旅行の定番。 

北は五大湖のあるミシガン州から、南はフロリダ州の最南端のキーウェストまで車で片道3日間かけて向かった旅は、宿泊先の朝食としてご飯を炊き、お湯を沸かしておみそ汁を作った楽しい思い出も。

リーズナブルで持ち運べて、お湯を入れればすぐに飲めるおみそは、体調を整える意味でも、"心強い旅のお伴"でもありました。


「心身ともに温まり、ホッとできる"おみそ汁"の存在」
アメリカでの生活が長くなるにつれて、次第に私の振る舞いや考えはアメリカ人のようになっていきました。そのため中学校2年生で帰国した際は、日本の文化や生活に"逆カルチャーショック"を受けることに。

帰国したばかりの頃は、日本語は話せても日本の学校や生活に馴染めず、アイデンティティクライシスに陥った時期も。そんな時も朝食に母がつくったおみそ汁を食べると、不思議と"心も身体も温まり、ホッとできる瞬間"でもありました。


「おとなになってからも、"おみそ"が日常生活の相棒に」
大学を卒業後はエネルギー業界の会社に10年以上在籍し、その間2人の子どもを出産。育児休職からの復職も2度経験し、母親という新たな役割も果たそうとする中で、毎日手探りな状態で仕事と育児の生活を、あわただしく過ごしていました。

会社から帰宅後、夕食の準備に時間を取れない時は、ご飯と豚汁などの"具沢山おみそ汁"で乗り切る日も。また週末に甜面醤(テンメンジャン)など、おみそをベースとした自家製調味料を作り置きして、料理を手軽に作れるように工夫し始めたのもこの頃からでした。


「こどもの入院」
そんな中、下の子が3歳の時にインフルエンザからの複雑型熱性けいれん(けいれん重責型)になり、入院することに。インフルエンザ脳症の可能性も示唆され、入院時は意識も朦朧としており、保育園のクラス名や担任の先生の名前を聞いても答えられない、そして母親であるわたしのことさえも認識できない状態でした。

"もしもこの状態が、この後もずっと続いてしまったら…"

その後10日間の入院生活を経て、無事に退院することができたものの、こどもの入院を機に"平凡で普通な日常が突然終わってしまうかもしれない"ことを実感。

大切な人との時間を大事に過ごせていたか、こどもに対して"かけがえのない存在"であることを言葉で伝えられていたか、自分は後悔しない人生をおくれていたか…などを考えるきっかけとなりました。

"話を聞ける時に、聞いておくこと"。感謝の気持ちなど、普段中々言えていない大切な気持ちを、"伝えられる時に、伝えること"
同時期に両親が年老いていく姿を間近で見ていた経験も重なり、その大切さを実体験として痛感することになりました。 

幼少期からこれまでのわたしの実体験が、「てまえみそワークショップ」や「てまえみそな人生手帖(仮)」など、今提供しているサービスをはじめようと強く思うきっかけにもなっています。



「人生は一度きり。会社員を辞めて、再び学生に」
こどもの入院や両親の高齢化により、食について体系的に学んでみたいと感じ、最終的には会社員生活に終止符を打ち、調理師専門学校に通うことを決意。 

2019年に会社を退職した後は、国の専門実践教育訓練給付金を受給しながら1年間学校に通い2020年3月に卒業。

てまえみそは2015年から仕込みをはじめていたものの、仕事と子育てで忙しかった時は、一時的にお休みしていた時期も。そしてこどもが入院した頃に、改めて"てまえみそ"の美味しさや、つくる楽しさ、発酵・熟成の待つ面白さなど、"おみその可能性や価値"に気づき、再び仕込むようになりました。 

 

「まずは身近な人に、てまえみその美味しさ、楽しさを伝えてみよう」
専門学校を卒業直後はコロナ禍の時期とも重なり、自宅で子どもたちとてまえみそ仕込みをしたり、少しずつオンラインで友人にてまえみそのワークショップを開催。

現在は小学生になる二人の育児をしながら、てまえみそをアイコンに、未来へ残しておきたいワクワクするようなサービスの企画・制作をしています。

おみそも微生物と共に発酵・熟成していくように、わたしたち人間も人生に起きる変化を受け入れ、楽しんでみる。

おみそもわたしも、自分のペースで、そして周りの力も借りながら成長していく。

そんな想いで活動をしています。 

てまえみそを仕込むだけでなく、できあがるまでの"待つ時間"も楽しんでいただけるような企画もご提案しています。

てまえみそを人生の相棒に。
てまえみそを家族の一員に。
てまえみそを大切な人とのコミュニケーションの機会に。

Yumiso 

<略歴>
大学時代にインフラが整っていないインドやフィリピンなどで、現地の人と一緒に生活するフィールドワークを数週間体験。

その時の原体験により、大学卒業後は人々の暮らしを支える仕事に就きたいと考え、エネルギー業界の会社へ入社し、約13年在籍。
その後、家族の体調不良をきっかけにキャリアチェンジすることを決意し、2019年に会社を退職。食について体系的に学ぶために同年4月に調理師専門学校へ入学。

2020年3月に専門学校を卒業し、YOU MAKE MI-SO HAPPY!プロジェクトを立ち上げ、"てまえみそづくり"ワークショップをスタート。
現在は"てまえみそ"をアイコンに、世界でたった一つしかない"てまえみそづくり"のワークショップの開催や、"てまえみそな人生手帖"(仮)など、未来へ残しておきたいワクワクするような贈り物の企画・制作や、体験型サービスを提供しています。

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