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誰のために生きるのか。


私はRAPTBLOGに出会うまで、自分のためだけに生きてきました。

家族が過ごしやすい空間にするためにするべき家事や育児も、いつしか全て自分の立場を最優先に考える様になり、挙げ句の果てには、私が出来ていなかったところを家族から指摘されると、「やってあげているのに…」と逆ギレする始末でした。

自分が自分のために生きるのは当たり前だと思っていたし、そうしなければ誰も、自分の事など守ってくれないと思って生きてきました。

今思うと、「どうせ私なんか…」と悲観的に考えるのがくせになっていて、心が荒んで視野が狭くなり、自分の事しか考える余裕がなくなっていたのだと思います。


私はRAPTBLOGから、自分のために生きるから苦しくなる事、神様に喜んでもらうために生きる事で心に喜びが溢れるのだという事を教えて頂きました。


RAPT有料記事66 (2016年5月9日)神様を第一優先にする人こそ真の勝利者となる。


しかし、最初はとても戸惑いました。

自分が自分のために生きなければ、どうやって幸せになるのか、今までの自分の人生が全て無駄になってしまうのではないかと、RAPTBLOG有料記事を読み始めてからしばらくの間、その思いがずっと心を支配しました。


何故自分のために生きる事が苦しいのかというと、人は誰でも自己顕示欲を持っていて、それを満たそうと自分のためにどんなに努力しても、満たされる事がないからです。

ほとんどの人は、自分以外の人に関心を持つ余裕がなく、余裕がなくなると視野が狭くなり、自分の考えが一番正しいと思って生きてしまいます。

そのため、他人の考えを受け入れる事ができず、どんなに自分を認めて欲しいと他人にアピールしても、自分が期待する通りに他人は認めてくれません。

このことを私はRAPTBLOGから教えて頂きました。


頭では理解でき、その通りだと思うのですが、私のプライドが邪魔をして、自分のために生きるという生き方を捨てる事がなかなかできませんでした。

今まで散々自分のためだけに生きてきて、幸せになるどころか苦しみの多い人生を歩んできたのに、いざとなると捨てられなかったのです。

とにかく自分を変えたい一心で、RAPTさんが伝えてくださる御言葉通りに、神様に全ての思いを打ち明け、必死に神様のために生きられる様にと祈りました。

すると本当に少しずつですが、神様が何故自分のためではなく、神様のために生きなさいとおっしゃられているのかが、自分の実生活を通して分かる様になっていきました。

どんなに些細な事も、神様に喜んで頂くためにはどうすればいいかと考え、神様に自分の行いが正しいのか心の中で尋ねながら一つ一つを行っていくと、今まで全く回転していなかった自分の脳が回転しているのを感じる様になり、家事一つをするにしても無駄な動きが減り、効率よく動作する事ができる様になっているのを感じています。

それまで、あまり考えずに習慣として行っていたため、無駄な動きが多かったのが、効率が上がる事で、今までよりも家事に取られる時間が減っていき、さらに神様のために時間を使う事ができるという好循環が生まれました。

そしてその様に生きる事で、今まで感じた事のなかった喜びが湧きました。

出来なかった事ができる様になった喜びはもちろん、その様な時間を多く過ごせた日の祈りは、深く祈れたり、神様の愛を脳に感じる事があったりと、神様が喜んで下さっているのが伝わってくるのを感じ、RAPTさんの御言葉通りだと実感しています。

だからこそ、もっともっと神様のために生きようと思える様になるのだと、神様のために生きる事が喜びなのだと、実体験を通して感じ、時に怠惰な自分と戦いながらも、神様のために全てを行う者となれるように、努力し続けたいと日々決心しています。


何のために、誰のために生きるのか。

神様のために、神様に喜んで頂くために生きる。

神様が与えてくださる答えはいつもシンプルで分かりやすく、実践する事により、さらに理解が深まっていきます。

RAPTBLOGに出会うまでは分からない事だらけで、苦しみの原因が分からないのが一番苦しかったのですが、RAPTBLOGの内容を受け入れてみると、世の中は世間で思われている程複雑な世界ではなく、本当に筋が通った話というのは、誰にでも理解できる様にシンプルに出来ているのだと感じています。


RAPT有料記事283(2018年6月9日)サタンは人々から考える力を奪い取り、主は人々に考える楽しみをお与えになる。


世の中を複雑に見せてきたのは、庶民を惑わし、考えを奪う事によって、自分たちが庶民の上に立って支配したいと考え、実際にその様な世界にしてきた上級国民たちだったという事がRAPTBLOGで明らかになりました。

彼らは自己顕示欲の塊の様な連中であり、自らをその泥沼にどっぷりと浸からせて抜け出せなくなっている奴隷です。

そんな連中が作ってきた世の中が生き苦しくなるのは当たり前だったのです。

庶民だろうと上級国民だろうと、神様から見たらみな同じ人間です。

上も下もありません。

神様は悪人の様に、自らの凄さをひけらかす様な事は一切なさいません。

それは慢心故に、自分の成長を止めてしまう行為であり、自ら悪人と同じ様な自己顕示欲の奴隷となっていく事だとRAPTさんを通して教えて下さいました。


こんな不条理な世界が1日でも早く終わり、本当の幸福で満ち溢れた世界へと変わっていくことを心から祈るばかりです。


そして、一人でも多くの方がRAPTBLOGを通じ、神様に繋がって生きる人生を歩まれますことを心から願います。



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