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タイトルの大事さ の話

こんばんは。ゆうきです。

ただ漠然と本が読みたくなって本屋さんをウロウロすることがあります。読みたいジャンルすら決まっていないことも、しばしばあります。

たいてい、「あれも読みたい、これも読みたい、でも、鞄に入れて運ぶには重たいので一つに絞りたいが決まらない」といった調子で、一冊購入するまでに、数十分間迷うこともあります。それとは逆に、

気がついたら『パン屋再襲撃』を片手にレジに並んでいたことがあります。そのタイトルを見た瞬間、「わたしはこれを読まないで一生を終えることはできない」とまで思いました。

ICカードで支払いを済ませながら、とにかく早く読みたいと思いました。同時に、タイトルがいかに大事であるかを、身を以て知ったことに興奮しました。「あれから」何年も考えていたのに、どうしても実感がなかった、タイトルの大事さ。


今回は、そんなタイトルに関してのお話です。


学生時代、わたしは詩の雑誌に投稿していました。一度だけ、佳作として小さく作品を載せていただいたことがあります。佳作として載せていただくことになったとだけ伺っていたので、浮かれた気分でその雑誌を購入し、そこで初めて己の作品への批評を読みました。お褒めの言葉と、「作品をまとめるにはいかにも軽率に楽に付けられたタイトルである」という旨の評が書かれていました。

とても有り難い批評を頂いたと思っています。しかし、その時のわたしは、大学生にしてはとても幼かったのです。

率直に、「わからない」と思いました。

だって、考えて、そのタイトルにしたのだから。色々ひねってみた。どれもしっくりこなかった。考えるうち、短ければ短いほど、その詩に合うような気がして、シンプルなタイトルを付けた。

今ならば、確かに批評で言われた通りだな、と思います。正解は結局のところわかりませんし、ほんとうの意味の正解はないのだと思います。しかし、少なくとも、わたしの作品のタイトルは限りなく不正解だったのです。「あなたが良いと思って付けたタイトルは、まだまだ考える余地があったのだ」と言われたことに他ならないからです。


その後、ご縁があり、その出版社の編集者の方に師事する話をいただきましたが、当時数ヶ月授業を休むような怪我をしていたこともあり、学生生活との両立ができないことを理由に断ってしまいました。

本気だったら、無理をすることを「考える」ものだと、今は思えます。しかし己は、たった1日体験入部をして、明日からの自分を想像しただけで、その苦しさに負けてしまうような、そんな人間だった。

わたしは提供された物を読む側で、時々創作をして楽しむ、趣味で書く人間なのだと、そういう自覚をもって、スタートラインにかけていた足を自らすっと引きました。




さて、冒頭の話に戻ります。

「タイトルだけで衝動買いをする」という経験を得られるまで、わたしは創作物のタイトルの重要性を、「理屈としてはわかるが、自分にはわからないカテゴリ」に振り分けてしまっていました。

たまに詩や小説を書いては、タイトルに苦心することがあっても。ふらっと立ち寄った本屋さんに並ぶ本を見ては、上手いなぁ、良いなぁ、と思うことがあっても。それを、どこか己には関係ないもののように感じていました。


そんなわたしがnoteを始めました。


今まで自分がしてきた創作とはまた違って、記事にそくしつつ、具体的に、人の目を引くような、読んでもらえるような……と、タイトルについて考える機会ができました。“今回のお話はタイトル通りのお話”ですが、そのうち、「なんだこれは?どういうことだろう?」と見に来てもらえるような記事を書けたらいいなと思います。


記事でご紹介した作品:

村上春樹 1989年 『パン屋再襲撃』 文春文庫

パン屋を襲撃するって何!?しかも、前に一度襲ってるの!?と思ってしまったが最後、これを読まないことには夜も眠れなくなるに違いありません。わたしは楽しく読みましたので、安心して眠れます。

村上春樹作品は、特に短編が好きです。


令和2年 5月28日 

ゆうき けい


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