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写真を捨てた

捨てられないものの上位がずっと写真だった。

だけど今年の夏くらいから、写真を少しずつ処分している。

昔行った社員旅行の写真、学生のころ友達といった海外旅行の写真、もう疎遠になってしまった元同僚との写真、たくさんある写真の中から、特にお気に入りのものだけを残し、残りは新聞紙に包んでごみとして捨ててしまった。

写真は思い出だし、若いころの写真はネガから焼き増ししてもらった写真が多く、元データがないため、捨ててしまえば二度と手に入らない。だけど、いつかはごみになるのが写真。楽しかったなあ、ありがとう、と思いながら処分したらすっきりした。

写真を捨てたからと言って思い出が消えるわけではない。

捨てる写真と残す写真を分ける作業は楽しかった。

風景だけを取った写真は大抵、いらない。

人物が写っている写真は、捨てにくいけど、残したいものは意外と少なかった。

もう会えない人の写真もあったけど、写真にうつっているひとは過去のそのひとであって、今のそのひとではない。

デジカメやスマホが普及する前は、カメラを持ち歩いて写真を撮っていたので、旅行やイベントなど、楽しいときしか写真を撮っていない。だから振り返って、楽しかったんだなあと思えた。スマホが当たり前になってからの写真はたくさんあるけど、しょうもない写真(食べたごはんとか)が多くて、プリントして残そうと思うほどの写真があまりなかった。

楽しい思い出の写真は、記念になるけど、過去は過去だなあと思いながら、もう会わなくなってしまった人たちの写真にさよならをした。結局残しておきたい過去も思い出も、そう多くはないことがわかった。

最近はスマホで気軽にきれいな写真が撮れるので、デジカメもあまり使わなくなってしまった。気軽に撮れる写真の画像データは簡単に増えるけど、画像データでとっておいても、なかなか見ない。

写真は残したいものだけを厳選して、プリントしてアルバムに保存しておくのが一番いい気がする。昭和の女だから、写真はやっぱり紙で見たい。

今回写真を処分したことで、残す写真と捨てる写真の境目がなんとなくわかった。気軽に写真を撮れるのはいいけど、データも溜めてしまうと処分するのが面倒になるので、画像データもまめに整理したいと思う。風景とかごはんの写真なんかは、誰かに見せたい時には便利だけど、見せたらもう保存しておく必要がない。残す写真の基準は、プリントして時々見返したくなる写真なのかどうか、だ。プリントする必要がないなと思う画像データは消してよい。

思い出も記念も、大事なものだけ特別に保存して、要らないものは捨てるのがスッキリすると思った。

そして、本当に大事な思い出は、写真なんて一枚もなくても、ちゃんと心に残る。写真を撮ることより、その瞬間や時間にこころをちゃんと動かすことのほうがずっと大事だと改めて思う。


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