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生産性の正体

結果を因数分解して、したり顔であたかもそれが過程であると論じるタイプの言説を目にすると、反射的に、疑義を呈したい気分を覚える。

最近目にしたのは某ビジネスマン文化人の講演録で、「GDP=一人当たり生産×労働人口」みたいな話をしていたのだった。これから人口が減少し、一人当たりの負担は重くなっていく、みたいな文脈で、一人ひとりが年収換算でどれくらい生産性を高めなければならないか、と、そんな話をしていた。

一見すると正しい。算数としては間違いではない。でも、これは、本当に課題を解決するための正しい順序の思考ではない、そんなふうに感じたのだった。

最近、実に恐れ多くも、なのだが、生産性の正体について、うっすらと、おぼろげながら、なにかが見えてきた気がしていて。それは、徹頭徹尾、過程を解き明かし、hackしなければならない、ということだ。たとえば、同じプログラミングという行為でも、どんな契約や仕組みの上でなされるかによって、時給いくらの仕事にもなり得るし、大きな資金を動かす梃子の働きをしたりもする。

結果に対して、何重にも効いてくる変数は奥深くに隠れている。調査、分析、戦略立案。広告、アプローチ、コンタクト、クロージング。設計、製造、デリバリー。こうした生産活動を、単線的に捉えない。製造とコンタクトが同時に実現しないのか。デリバリーが、クロージングを兼ねることはないのか。事例開発と売上獲得が兼ねられる活動があるのではないか。ラインが一本だと難しいかもしれないが、二本、三本と、周期の違うものを兼ね備えると、可能性が広がる。

これを、ニ兎追う者は、とか、皮算用になってしまうのではなく、文字通り、一粒で何度でも美味しくする。部分的には、誰だって当たり前のように工夫するような話だが、自分自身の生産活動をきちんと要素分析して、配列し直し、価値の生まれる時と場所の濃度を濃くしていく。新たな機会との出会いの可能性を高めていく。良い結果が出る可能性を高め、それが次の資源や機会を呼び込む構造を作る。副産物も、余さず活用し、徹底的に完全燃焼させる。

本当に、無駄がない、とは、そういうことではないか。

そして、そんな意味での無駄のなさ、効率の良さを体現している人は、表面的に、つまり単線的に見たら、無駄なことをやっているように見える、ということもあるのかもしれない。

これまで出会ってきた色んな人のことを思い浮かべると、こうした複線的な価値創造をしている人は、天才肌の人が多く、主観的には志も意識も高くなく、ただ、人生を楽しんでいる、という人が多かったような気がする。

結果の因数分解からは、一次関数的な改善しか見えないが、過程の因数分解には、指数関数的な変革の可能性が眠っている。

同じ収益を生み出すのでも、時間をどこに投下するかで、在り方も労力も一変する。それが、生産性を高める思考の順序の正しさってやつではないのか。

みんながみんな、この「正しい順序」で考えたら、すごいことになるんじゃないか、と、思ったりする。実践者が皆、稼ぎが指数関数的に増えることがあるのだろうか、と考えるとさすがにそんな大変なことはないとは思うし、多分そんなことはないんだけど、各自の過ごす時間の内実というものが、根本的に変わるのではないか。

だいぶとっ散らかった文章だし、生煮えで、穴ぼこだらけに見えるかもしれないけれど。今後の思考に向けての備忘ということで、記しておく次第だ。

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