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フロンティアと地図

今日はこの本。「探検地図の歴史」を読んでいる。

チンギスハンによる「ユーラシアという世界」の出現がマルコポーロによる極東の"発見"を生み、海路による利益追求への要請、あるいは遙かなるオリエントの金銀香辛料等の財宝への欲望が造船技術の進化を促し、コロンブスによるアメリカ大陸の"発見"へと繋がった。人類の越境は、地球を文字通り一周して、くまなく測量してまわるまで、終わることはなかった。

航空機も、ましてや人工衛星もなく、外洋航海が文字通りの冒険だった時代。想像によってしか追体験できないのだが、主観的には、実にロマン溢れる行為だったことだろう。ときはルネッサンス。人は理論だけでなく、長距離移動という身体的なレベルでの経験からも、「地球」の概念を直観していた。

当時作成された様々な地図は、もちろん物理的な記録を目的とした地図であるわけだが、十分な測量技術を伴っていなかったがゆえに、Googleマップに見慣れた我々の目には、「精神の地図」に見える。

恋焦がれた極東に到達して、それなりに地図の形が明瞭になってきた頃の古地図が特に面白い。あるべき場所に北海道は存在せず、朝鮮半島は島として描かれているのである。人はあると思っているものだけを、知覚し認識できるのだ。

新しい土地が発見されても、その位置が正確に測定されていない場合は、後続の旅行者が再発見することは困難になり、地理学の知識の総体への寄与は小さいものになってしまう。一六世紀初めから一八世紀終わりにかけて制作された太平洋地図類も、一貫して増大していく知識の記録ではなかった。確実な情報ばかりでなく、今日では根拠薄弱と思えるような証拠から推測をかねて探検計画が立てられた。

いまや世界地図どころか宇宙の地図まで、描きに描き続けてきた人類であり、より現実的な宇宙開発や深海探査といった、古典的な意味での冒険活動はいまもなお活発だが、多くの人にとって、向かう先は精神世界のフロンティアである。

一六世紀頃の欧州人にとって、遥か東方のオリエント世界は黄金に溢れる桃源郷だった。勘違いしてたどり着いたアメリカ大陸では、文明の発達段階に大きなギャップが存在し、その武力によって残酷な略奪行為が発生した。後の世のエネルギー革命にせよ、ゴールドラッシュにせよ、IT革命にともない発生し、いまなお繰り広げられているキャピタルゲイン争奪戦にしろ、いまここではないどこかに憧れ、奪い、争うというこの構図は変わらない。

そんなことを思うと、個人的には、1万年という長大な単位で営まれた、悠久なる縄文的時間への憧れが反射的に発動してしまう。人類がかろうじて動物界に踏みとどまり、神を畏れ自然と調和していた時代。戦争はなく、文化だけが花開いていた時代。永遠の平和。資本主義や個人所有の目覚めとともに、それは永遠に失われてしまった。

話が脇道に逸れてしまった。この本を読んで気づいたのは、人類はいまだに、精神世界の測量法を手にしていないということだった。マインドフルネス的な、禅的な、あるいは体験的な、主観的な探索法は開発されてきたわけだが、それらは客観的な、再現可能な、追体験の容易な測量法ではなかった。そこにある種の予感が閃く。

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