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オンリーワンなこと、してるかい?

皆さんに質問。「世界広しと言えどもこれは世界で私だけがやっている」と自信をもって言えることはあるだろうか。業績や趣味に限らず、普段の何気ない習慣も含めてで構わない。ほんの些細なことでもいい、これは自分だけがやっているオンリーワンなことである、と言えることはあるだろうか。

現代の日本社会は「あるべき姿」というぼんやりとした水準を世の中の共通認識として定義し、人間が別の人間を「あるべき姿」にあてはめる(=水準を満たす人間を生産する)活動に励んでいる。この活動を総じて「教育」と呼んでいる。

人は生まれたら生後〇ヶ月までには自力で立ち上がったり言葉を発したりして、〇歳までには他者とコミュニケーションをとったり四則演算ができるようになっているのが「あるべき姿」であり、その水準に至っていなければ保護者や学校の先生が「教育」する。

小学生になれば国語・算数・理科・社会などの各教科で一定の知識を会得するのが「あるべき姿」であり、夏休みともなれば宿題を新学期までに完了させるよう遂行計画(タイムマネジメント、タスクマネジメント)を立案できるようになっているのが「あるべき姿」である。学校の先生は定期テストや抜き打ちテストで生徒が「あるべき姿」にあてはまっているか評価する。年度内や学期内に何度もテストを行い、採点結果を生徒に伝えて「あるべき姿にあてはまらなかった点を理解し、次のテストに向けて学習方法を改善する」というPDCAサイクルを促す(先生はPDCAサイクルとは明確に言わないが、結果的にそのサイクルが回る)。小学1年生と高校3年生を比べたら、後者の方が「効果的な学習方法」が身についているものであり、それは学校教育を通じて回し続けたPDCAサイクルの成果である。

小学校・中学校・高校・大学などの各学校の卒業時には、卒業生は誰もが「あるべき姿」にあてはまった実体(instance)であり、卒業させた学校側は「あるべき姿」にあてはまる人間を大量生産できたと安堵する。

就職活動ともなればスーツを纏って面接時はどう振る舞うかの「あるべき姿」がなんとなく就職関連業界で定義されており、就活生は皆が同じような見た目になる。

日常生活では大型スーパーか有名な量販店で安く大量販売されているシャツを着て倹約が美徳となり、集団活動では「雰囲気悪くならないよう、自分がのけものにされないよう、目立たず必要最低限の発言だけしよう」と考えるようになる。

長くなったけど、要は現代の日本社会の教育の仕組みだと、皆が似たり寄ったりになるのだよね。

それで、人はいずれ死ぬわけで、似たり寄ったりな人生を終えたときに、残された側にはどんな印象が残るだろう?

「あの人は○〇な人だった」の〇〇には何が入る?特徴が何も印象に残らないまま、人生を終えて他の人から忘れ去られてしまうのではないか?

そこで冒頭の質問に戻る。人生を終えたあとで人々の印象に残るには、オンリーワンなことをするよう心掛けるべきだ。そうすれば「あの人は生前こんなことしてたよね」という強烈な印象が残る。

ただしオンリーワンを目指すのはなかなか難しいことで、まず法律や社会のルールから逸脱してはならないし、なにより「あるべき姿」を認識した上で「あるべき姿」から外れるための勇気が必要だ。頭を使わないといけないし勇気をもって踏み出す行動力が求められる。

さて私の話を。私は趣味でアイススケートをしている。これだけだとオンリーワンでもなんでもないだろう。スケートリンクに行けば一年中滑っていて選手でない常連客はいるわけで、最近はアニメを観て自分もスケートをするようになったという人もTwitterで見かける。

ちょうどこの記事を書いている季節は夏だが、夏のスケートリンクでの私の服装はこんな感じだ。

袴に猫耳麦わら帽子。この服装でスケートするとなると世界でも他にいるだろうか。これが私のオンリーワンなことである。

こんな格好でスケートできるかというと、去年色違いの袴で滑ってみたときの様子は

結構普通に滑ることができたりする。

なお、この格好でスケートしていると知らない人から声をかけられることがある。どうやら周囲から見ると興味深い恰好であるらしい。オンリーワンなことをすることで得られた副産物である。


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