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なぜ研究開発から営業職に?!~僕のリアルなエピソード~

最近、よく質問されます。。
毎回その時々で、微妙に質問の答えが変わってることに気づきました。。笑

パターン①:「色んな人とお話しするのが好きなので、営業職やってみようと思いました!」
パターン②:「営業だったら、インセンティブで給与が増える可能性があるので、そこに魅力感じました!」
パターン③:「お客さんに直接、価値を提供する仕事がしたいと思って営業職を希望しました!」などなど。。。

素直に言うと、

『自分の居場所はココじゃないな、もっと自分の好きな事を仕事にしよう』と思ったからです。

↓↓↓ここからは、その経緯について↓↓↓

新卒で自動車メーカーの研究開発に就職し、半年たった頃に、友達に誘われてあるトークライブイベントに参加した時しました。

その時にトークライブの登壇者の方が、

『いまやってる仕事が楽しくないんだったら、明日にでも会社辞めた方がいい』

って真剣に言ってて、僕は「何言ってんだこの人は?」「そんなこと言ったって、辞めれるわけないじゃん」「そんなことでみんなが会社辞めたら、社会が崩壊するよ」って思ってました。。

でも、どこかで好きな事を仕事にしたいと思って入社したのに、退屈な仕事ばかりでモヤモヤしてた僕には、この言葉が強く突き刺さり、ずっと心の奥底に残った状態。。

それから、”あの言葉”が頭の中をグルグルめぐり、グダグダ仕事してるか/してないのか分からない生活を送り、職場に行っても週末何しようかとか、仕事終わってどこ行こうかを考え続けて、定時になったらすぐ帰る。こんな生活が半年。

そんなある日に、ふと両親のことを思い出して、「今何してるんだろうなぁ」、一緒に暮らしていたことがすごく懐かしくなってきて、あの頃の日々に戻れたら。。

そんな想像から、両親への感謝の気持ちが芽生えて、、

僕を私立の中高一貫校に行かせてくれて、浪人までさせてもらって、大学は東京の私立大学、大学院まで行かせてもらい、いつも応援してくれてたのに、

『僕はこんなところで何してるんだ』と。

そして自分の部屋に帰ってから本当に涙が止まらなくて、「ごめんね、ごめんね」って誰もいない部屋で呟いていました。

そのときに、
『いまやってる仕事が楽しくないんだったら、明日にでも辞めた方がいい』

”あの言葉”が脳裏をよぎり、
次の日に退職届を提出しました。

「起業するんで、退職します!」とカッコつけて課長に退職届を提出しました。ただ、課長は「おまえ頭大丈夫か?」「まあ言っても聞かなそうだし、すきにしたらいいよ。」と言って、受け取ってくれました。

そこから、『これから何しよう!』『マジで自由だ!』
という仮想のFREEDOMを味わい、浮かれた状態で、

あっそうだ!東京に引っ越そう!という謎の思いつきで

会社近くの本厚木のマンションから渋谷のアパートにお引越し!

そしたら、意外と引っ越し代かかるし?
社会保険料?年金?所得税?

どんどん貯金が減っていき、

ん? んん??

何だこれ??

やばくない?

お金ない!仕事ない!マジやべぇ~!

そこに目の前に飛び込んで来た”UberEats”の配達員

これだ!即応募して次の日から一日フル稼働15時間!

土砂降りの雨の中やった結果、日給2万達成!!

ただ翌日は疲労で一日起き上がれず、、、
Uberを1か月やって気づいたのが、
これだけで生活してたら自分の時間ほぼ無いじゃん!
しかも事故ったら収入ゼロだし。。。

ほかの手段だ!バイトだ!

歌舞伎町の「相席ラウンジ」と渋谷の「高級中華レストラン」で掛け持ちでアルバイト。

その時の平日の生活が、
AM11:00~15:00 (4時間) 中華料理屋でバイト
PM18:00~06:00(12時間) 相席ラウンジでバイト

一日16時間労働?
バイト先までの移動と準備入れたら、寝る暇なくない?

3時間、寝れたらいい方みたいな生活でした。

これである日、中華料理屋のバイトを寝過ごしてすっぽかしてしまい、
気づいたら20時間ぐらい寝てて、起きた時に「この生活、無理だわ」って気づきました。。。笑

それで転職サイトを開き、希望条件を入力。

「勤務地:東京」「年収:500万以上」「未経験歓迎」

出てきた会社、上から順番に電話しまくって面接をお願いしました。。

10社くらい電話して
3社面接して
1社合格。。。

ここしかもうない!背水の陣で内定承諾

これが僕が営業職になった真実です。。。

後悔してるかって?

『我が生涯に一片の悔い無し!!!』

つづく。。

Hirayama Yudai



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