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生きるために生きること

「嘘でもいいから仕事してるふりでもして復帰するのがいいんじゃない?」「仕事を仕事として、生きるためだと割り切って働くことも、立派だと思うよ」と、仕事を休職した頃、父に言われた。

意味はわかる。
私はこの言葉を聞いて泣いた。多分私は、平たく言うと、父に「そんな会社に戻るな」と言って欲しかったのではないだろうか。

しかし私は、悩んで悩んで悩んだ末、割り切ってやってみることにした。
立派になりたかった。
もう一度、仕事は仕事として、生きるために生きてみることにしたのだ。
これまでのように、仕事に期待しない。仕事でワクワクなんかしなくていいのだ。

しんとした心で仕事にあたった。
淡々と、やれと言われたことだけをやる。
当初は、仕事を再開することで、余計なことをくよくよと考える時間が減ったために、少し心が救われたのは事実であった。

しかし、すぐに不安がむくむくと膨らんでいくことになる。
私は、なんの価値も生んでいないし、社員が、会社の方針に納得できていなくて、ことごとくバラバラだった。

ただ生きるために生きているのに、なぜにこんなにも次から次へと問題が起きるのだろうか。
生きてるだけで満足していればいいものを、あるものだけでは満足できないように、人はできているらしい。
面倒といえば面倒だが、満足できないからこそ、成長があるし、未来への希望があるからこそ、問題や課題があるってことらしい。

ここ最近で、やっと気がついたのは、自分の売っているものに自信を持てないのに、仕事をすることはいい加減、苦しい。

自分に何の力もないのもいやだ。私が人と必要とされるようになるためには、私はもう少し自分に自信を持てるようにならなければならないし、少なくとも自分に自信を持てるだけのことに取り組んでいるという実感がないと、苦しい。

それから、やっと会社と自分の考え方が合わないことに気がついた。
嘘つきで、ずる賢い人がうまくいく会社なのだ。
頼むから正直で賢い人がいいサービスを作ってうまくいく世界であってほしい。

そういうことなので会社とはさよならをして、ちょっと自分も頑張らないといけない環境に身を置きたいと思う。
せっかく生きているのだから、頭を使って、自分と人のために生きるのだ。

さよなら今まで、こんにちは未来。

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