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2020/01/13『FORTUNE』@東京芸術劇場

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ファウスト作品とならば、観るしかないこの演目。

東京芸術劇場にて上演された、『FORTUNE』のワールドプレミア(プレビュー公演)を観てきました。

結論から言うと、最初は正直ハズレかもなと思ってしまう点もあったけど、観賞後は「いいものを観た」という気持ちが溢れて叫びながら走り回りたい衝動に駆られた。それを制御するのが苦しくて誇張ではなく吐きそうになったくらい。


【注意】以下、ネタバレあります。


低いドラムの音が鳴り、マイクを持った男が幕の前に登場して歌う幕開き。物語の世界への集中力が高まる。

幕が開いて現れるのは、一面木目の舞台。その前には小さな冷蔵庫。中にはダイエットコークがぎっしり詰まっている。舞台の上手と下手には、無数の空き缶が散乱していて、木目と人工的なそれらのモチーフはアンバランスにも見える。

映画監督として成功している男、フォーチュン(森田剛)のもとに、若き女性プロデューサー、マギー(吉岡里帆)が現れる。マギーは優等生として生きてきた反面、薬物に手を出した経験があった。マギーの物怖じしない態度に惹かれるフォーチュン。しかし彼女には夫がいた。

実は序盤、全部映画の吹替みたいな演技だなーと思って僅かに拒絶反応を起こしそうになってました…。でもだんだん私が慣れたのと、物語が進むにつれて演技が擦り合ってきた感覚があったので後半は全く気にならなかったしむしろ素晴らしい演技だと脱帽したところが多かったです。

劇中でTwitterの話題が出たり、セルフィ―を撮る場面とかが出てきたのですが、近年の作品(他ジャンルも含む)で、現代を象徴する表現としてスマホがこれ見よがしに出てきて辟易してしまうことが少なくないです。今作も少しわざとらしさを感じてしまった。そのアイテムとかトピックの登場に必然性がないとそう思ってしまう。

科学技術の進歩などによって神を信じ(られ)なくなった現代において、絶対的な権力を持つのも人々が崇拝するのも神ではなくなった。取って代わったのが金であり、薬であり、ダイエットコークであり、人々はこれらに依存する。このように近年のファウスト作品も宗教劇的な性格や神の存在は希薄になりつつある。キリスト教圏にない日本では、従来よりもこの方が受け入れられやすいため、個人的には今後の日本におけるファウスト作品の発展を期待しているのですが…。

マギーにプレゼントをしようとするフォーチュンだったが、マギーに拒絶されひどく傷つく。このことが引き金となって、彼はルーシー(田畑智子)と名乗る女と、12年間何でも願いを叶えることと引き換えに死後地獄に堕ちるという契約を結ぶことになる。魂の存在を信じないフォーチュンは、売り言葉に買い言葉的に、契約書に血のサインをする。

この契約のところで「ファウスト」の筋へ持っていくのですが、ちょっと性急に感じました。さっきまでファウスト素材をゆっくりなぞりつつもオリジナルな展開だったから、ここだけまんま「ファウスト」なのか…とちょっと拍子抜け。先に書いたように、非科学的なものに対しての猜疑心が高まっている現代というものを描いていたように見えたので、ここもそのスタンスで来るのかと思った。あと、この作品の独自性と言えば、フォーチュンの父親との別離による悲しみの持続も、物語に効いてくる。家族の影が全くと言っていいほど見えなかった「ファウスト」から、両親の存在が出現することで、彼の矮小さも卑近さも浮き彫りになり、ときに幼児性すら感じさせる彼にますます愛しさが増す。

話は逸れますが、「ファウスト」と『ファウスト』を私は区別して使っています。「ファウスト」は、ファウスト伝説やファウスト素材に着想を得て創作された作品群を包括したものを指します。『ファウスト』は、二重鍵括弧を使っているということは作品のタイトルだからゲーテの戯曲とかグノーのオペラとかを指す。今作はパンフレットのサイモン・スティーヴンスの発言からも分かるように、「ファウスト」という伝説あるいは素材全体を基にしているわけであって、『ファウスト』という特定の作品を翻案した訳ではないです。至る所の公演紹介で「ゲーテの『ファウスト』を現代に置き換えた」とか書かれてるの見るとため息をつきたくなります。

メフィストの役割のキャラクターが女性であるのは近年よく見る翻案。ファウストとメフィストは、魂を奪う/奪われる者という点では相対する関係でありながら、一心同体のような関係だということを強調する要素だと思います。共犯者というのも違う、もっと互いを思う、恋愛にも似た関係。だから、ファウストとメフィストを男女に書き直したものが多いのだと考えています(私が初めて出会ったファウスト作品、蜷川幸雄演出『ファウストの悲劇』は男性同士だけれども、この2人の間には明らかに官能を感じさせる演出が諸所にあった)。

また、フォーチュン=ファウスト、マギー=マルガレーテという割と分かりやすい役割と名前の関係。ルーシーは立場的にはメフィストだけどルシファーから取ってるのかな?にしてもフォーチュンのネーミングは安易なような、残酷なような。富とか運とかいう意味を背負わされるのはなかなかに重いものがある。ちなみにマギーのファミリーネームはマーロウ。ファウスト作家の一人、クリストファー・マーロウから取っているのでしょう。

フォーチュンがルーシーと契約を交わした後、マギーの夫が仕事中の事故で突然亡くなる。この不自然さから、フォーチュンはこの契約が本物であることを悟り、ルーシーに「殺せとは言ってない」と抵抗するも一度交わした契約は有無を言わせず履行される。

夫を亡くしたマギーを手に入れ、超高層ビルから空を飛び、渡米してアメリカの有力な映画プロデューサーを思いのままに操り、富も名声も手に入ったフォーチュン。しかし彼の心は満たされない。

私はファウスト作品でファウストの卑屈な感じに愛しさを感じてしまうのですが、フォーチュンもその性格があった。尊大なんだけどずっと現状に対する不満を抱えている。弱くて愚かで人間らしくて好き。

フォーチュンはマギーを思い通りにすることができるが、それは悪魔の力によるものであって彼女の本心ではないということに空しさを感じ、彼女を解放する。この直前の、マギーがフォーチュンとルーシーに言動を統制されてたところ、この3人の演技が本当に良いです。焦燥と空虚と愉悦が入り混じって、妖艶さすら感じるほどのシーン。個人的には一番好きなシーンかも。

ドラッグパーティーのようなカーテンハウスのシーンはワルプルギスの夜を表現しているよう。アンダーグラウンドで淫靡。そして複数の名もなきキャラクターがひとつの空間を創り上げているのが尊い。舞台上にいる一人一人が意味を持っていると感じさせてくれる舞台が好きです。この場面もそうですが、後半の森田剛の狂った色気は流石と言う感じでした。ダンスも普通の俳優では出来ないキレのある動き。素晴らしい。

契約を交わした後からのフォーチュンの衣装の色も象徴的で、視覚的にも彼の状態が訴えかけられる。冒頭の黒いジャケット姿から契約後白いセットアップになるのは、敢えて悪魔のイメージからかけ離れている潔白な色を選んだのか、余計に本人のこれから辿る運命の不穏さが際立つ。渡米後のビビッドなピンクスーツはトランス状態のハイテンションを象徴しているよう。その後、2人の警察官との奇妙な問答をする透明な箱の中では上下がピンクとグレーの半々になる。そしてその警察官たちを殺害した直後から独房にグレーのスウェットの上下になって、完全に彼が廃人になってしまったのが明示される。

この、フォーチュンが警官たちを殺害するシーンも良かった。それまでは派手なビジュアルで残酷さを表現する描写はおそらくなかったはずなのに、このタイミングで二人分の目が覚めるような血潮が透明なガラスにべったりと付着する。もう後戻りできないことを彼の言動ひとつひとつが物語る。

それまでは一面に聳える巨大なセットによって隠されていた舞台の全貌が初めて見えるのが父との再会のシーンというのは感慨深かった。独房に入れられた後、面会しに来た母の無償の愛が溢れる会話もそうだけれど、この作品の家族の描写は温かさが滲んでしまうところが切なさを助長しますね。

序盤から目の調子が悪かったフォーチュン、独房のシーンでは目玉が黒くなってると指摘される。これは何のメタファーなんだろうと考えた。ゲーテ版で盲目にされる設定を受け継いでいるだけなのか、はたまた人外になりつつあることを表しているのか。

成功からの転落、しかし悪魔から逃れられると信じ、望んで入った刑務所。縋る先も落ちに落ちた彼の後ろ姿は、やっぱり私が期待していた浅はかで哀れ過ぎるファウスト像でした。これこそ慈しむべきファウスト。愛しい。

契約が終わる直前、愚かな契約を後悔し嘆くフォーチュンの背後で無情に不気味に鳴る太鼓。しっかり12回鳴って、最後の日が終わる12時を表していたので私は満足です。

フォーチュンが溢す「全てが欲しいという欲望に疲れた」という台詞は、とても同時代的だなと思いました。人間の欲望の果てしなさは刻一刻と更新されている。それは時代が進めば進むほど、考えられないようなテクノロジーのおかげで叶ってしまうから私たちは踊らされる。その最中にいると気付けなくなるけれど、確実に疲弊しているということを突き付ける台詞だと思います。

色々と書いてきましたが、今この時代ならではの問題を痛烈に提示したことと、欲に溺れたり愛を求めたりする人間の普遍的な姿といういつの時代にも共通するものを描いたという点で、非常に満足度の高い上演でした。ファウスト素材が永続的にいかようにも変化し、魅力的に輝き続けるのはこの所以だと思います。今後も良いファウスト作品に出会えることを期待しています。

〈『FORTUNE』公式サイト〉https://stage.parco.jp/program/fortune/

【東京公演】2020/1/13(月・祝) ~ 2/2(日)
※プレビュー公演:1/13(月・祝)
東京芸術劇場 プレイハウス
【松本公演】2020/2/7(金) ~ 2/9(日)
まつもと市民芸術館 主ホール
【大阪公演】2020/2/15(土) ~ 2/23(日)
森ノ宮ピロティホール
【北九州公演】2020/2/27(木) ~ 3/1(日)
北九州芸術劇場 大ホール

〈ユウカイトウTwitter〉https://twitter.com/choco_galU


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