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バックパッカー旅 チェコ編 vol.1

格安バスの運転は荒く、急ブレーキを踏まれる度に寝ていた乗客が叩き起こされる。僕は起きていて、なおかつシートベルトを締めていたにも関わらず、膝を強く前の座席に打ち付けてしまった。じんじんと痛む、擦り傷のようなものをさすりながら、だだっ広い麦畑をバスは駆け抜けていく。
ドイツはビールの製法が法律で制限されており、故に品質が一貫して高いビールが製造されている。一方でチェコは世界で最もビールが飲まれている国であり、水よりもビールの方が値段が安い。この両国間をバスで移動すると、景色のほとんどが麦畑になることがわかった。車窓に映る色が変わることはほとんどなく、見飽きてしまったので仕方なく目を閉じる。
ドイツのハイデルベルクからバスで約7時間揺られると、チェコの首都プラハに辿り着く。降車すると、強い日差しと乾いた風が肌を撫でる。7月のプラハは気温が高くても30度を超えることはない。涼しいとは言えないが、さりとて暑さも厳しくはない。
大きなバスターミナルの周りには、多くの観光客の姿と出店が並ぶ。雑踏とバスの走行音で賑わっていた。トイレを探すと有料で、20コルナか1ユーロが必要だった。僕は悩んだが、バスに乗っている間はトイレに行けていなかったので随分と催していた。仕方なくドイツで使い切れなかった1ユーロ硬貨を手放す。
時刻は13時近くを回っていた。早朝にヨーグルトを食べただけなので空腹になっている。ひとまずバスターミナルを歩いてみるとファストフードや日本のコンビニのようなものはあるが、どうにも心を惹くようなものはなさそうだった。宿へは歩いて1時間ほどかかるので、道中でレストランを探す方がよいだろうと僕は考えた。
食事に備えて、バスターミナルにあるATMで1000コルナを引き出す。日本円で6000円ほどであり、まだチェコの物価を把握していないので過不足なのかわからない。手数料で100コルナほどさっぴかれてしまったのが心残りだ。
重いバックパックを背負い直し、バスターミナルを背に歩き出す。

バスターミナルを出ると、街並みがドイツと大きく異なることに気づく。道路や建物には年季が入っており、砂埃が掛かっている。道路を挟むようにして4、5階建ての建物がそれぞれつながった状態で建てられており、少し窮屈さを感じるが、個々は明るい色を基調とした壁で作られているので視界を圧迫しない。国を少し跨いだだけでここまで違うものかと驚いた。歩いている人々のファッションもドイツほど先鋭化されておらず、どこかに懐かしさを思わせるものがある。地下鉄の付近はドイツや日本と同様に、ツンとした臭いが漂っていて、泥酔している人や物乞いをしている人がいる。
街には所狭しと路面電車の線路が張り巡らされており、これが多くの人にとっての交通手段のようだった。ガタンゴトンという音はなく、線路の繋ぎ目を感じさせない。キーというブレーキ音だけが路面電車から鳴っていた。
乗ってみたいが乗り方がわからず、そして街並みをじっくりみたいので歩き続けることにした。

30度に満たない気温とはいえ、数十分歩き続けると流石に疲労感が募る。直射日光がジリジリと容赦なく僕の肌を焼いていた。夏のヨーロッパは日照時間が長く、日の出が5時、日の入りが21時頃となる。昼間は高い角度から日光が降り注ぐため影が少なく、歩き続けるには辛い気候である。重いリュックが触れている肩や背中が汗でじんわり滲んできて、額には大粒の汗が滴っている。
手で汗を拭いながら、Google Mapsの指示に従って歩を進めていると、公園らしきエリアに入り込んだ。木々が生い茂り影を作るため、途端に快適な道のりとなる。そこかしこにあるベンチでは、現地の人々が涼を取っている。公園には木の匂いが漂い、涼しい風が吹き抜けていた。僕はその風を感じながら歩みを少しづつ進める。Tシャツに染みた汗が少し乾いて、体温が冷えていくのが心地よい。
ホテルまではまだ30分ほどかかるので、ここらで休憩をとっても良いと考えた。僕は上を向き、悩みながらゆっくりと歩き続ける。これからの旅のことに想いを馳せれば、1時間程度は続けて歩かざるを得ない場面があるかもしれない。結局、僕は歩みを止めないことにした。
要らぬ無理をして、ひたすら歩き続ける。すると、小さな歩道を挟むように石碑のようなものが立ち並ぶ光景が目に入る。気になったので近くで見てみると、石碑には名前らしき文字が刻まれ、人物の写真が貼られているものもある。花や飲み物が供えられているものも多い。どうやら公園だと思っていたのは墓地だったようだ。地図で確認すると、確かに区画として設けられてはいるものの、日本のそれとは違い規模が大きく、歩道として通り抜けができるようになっている。
墓地の出口付近にはコインロッカーのような、しかしドアは透明になっているボックスがある。中には家族のような写真や供物のような花などが飾られていて、腕時計などの故人の私物と見られるものも入っていた。きちんと鍵がかけられているので供えたものが盗られる心配はない。日本にはない形式だが、むしろ日本の治安が異常に良いだけで、他の国にとってはこのような供え方が普通なのかもしれない。
汗が冷えたせいなのか、肌寒さとともに静かに墓地をあとにした。

ホテルにチェックインし、部屋に入る。4人部屋のドミトリーで、2人ほどすでにいた形跡があるが外に出ているようだ。このホテルは自分でシーツ等をセッティングする必要があり、受付でそれらを受け取っていた。一通りベッドメイキングが終わり、部屋でくつろぎながら足を休める。
しばらくすると誰かが入ってきた。大きな水色のスーツケースを転がしながら、柔らかく親しみのある声で「ハロー」と僕に声をかける。
彼は35歳のベトナム人で、名前はマリという。ドイツに出稼ぎでミシュランレストランのシェフとして働いているらしい。チェコへは観光として来たようだ。どこから来たのか、などの一通りの会話をした後「明日一緒にプラハを回らないか」と言われたが、長距離の移動で疲れていたので明後日に一緒に回ろうという言った。彼はにやりと笑いながらイエスと言っていた。断られたことに気を咎める様子はなく、僕にとってそれはありがたかった。
時刻は15時を回っている。昼食をとり忘れていた僕は起き上がり、ホテルを後にした。

日没の遅い夏のヨーロッパは、15時とはいえど日本の真昼とさほど変わらない。強い日差しに目を細めながら周囲を見渡す。
物価を知りたいので目に留まったスーパーに入ってみる。ドイツと同じ形式でベルトコンベアのようなものの上に買った商品を乗せて、レジの係員が商品を登録することで会計を行うようだ。
気になってビールの値段を見てみると、確かに水と同じ値段だった。パンなどの物価はドイツと比べて安い。これならドイツの時みたいに常に節約することを考えずに済みそうだ。
僕はスーパーで食べ物を買うのはやめ、レストランを探すことにした。

ホテルから10分ほどの距離にローカルレストランがあったので入ってみる。テラス席と店内席の2種類があり、ひとまず店員を見つけたいので店内に入るが、それらしき人は見つからない。客の2人組が「ハロー」と声をかけてくるので返した後、なんだか居心地が悪くなったので外のテラス席にひとまず座った。
しばらくすると先ほどの客が注文を聞いてくる。どうやら店員だったようだ。観光客を相手にしているからなのか、とても無愛想な表情を僕に向けている。英語で辿々しく注文をした後、すぐにビールが来た。
10分ぐらい後に料理が来た。マッシュポテトのようなものに、チキンカツが加えられている。日本にはない組み合わせなので、これがチェコ料理なのかもしれない。両者を一緒に食べてみると、ポテトの柔らかさとカツの硬さがちょうどよく合う。両者とも特殊な味付けはなく、さっぱりとした塩の風味を感じられた。途中からレモンをかけて食べ、それをビールで流し込む。
食事を楽しんでいると、蜜蜂が僕の周囲をうろつき始めた。ドイツにも多くの蜜蜂と遭遇しているので、ヨーロッパにはかなりの蜜蜂が生息しているのかもしれない。日本で一度刺されたことのある僕は表情をこわばらせ、静止する。向かいの席の現地人から視線を感じたので顔を向けると、彼は目を逸らした。助ける気はないらしく、観光客である僕の振る舞いを楽しんでいるのだろう。
蜜蜂が去った後、急ぐようにビールを飲み干し、店を後にした。

ホテルに戻るとベトナム人と、もう1人が宿に帰ってきていた。彼は31歳のスペイン人で名前はジョシュという。彼は僕と同じように世界の各地を旅しているらしい。陽気な口ぶりで語っているのが、英語を聞き取れない僕でもわかる。
2人の英語を必死に聞き取っていると、ジョシュはたまに僕に話題を振ってくれる。陽気な国の生まれは場回しの技術が根っから搭載されているのかもしれない。
僕がドイツで電車の乗り方を間違えて罰金を取られた話をすると、「乗務員は日曜日だけ現れるから、他の曜日に乗ればタダだよ」と悪知恵をつけてくれた。チェコはどうなんだと聞くと「チェコも同じようなもんさ」と笑う。
2人は明日一緒に観光するらしい。「なんだか元気になってきたから、僕も行っても良いかい?」と聞くと「もちろん」と2人は返す。

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