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不正解に大きな花丸を。

クリープハイプの『キケンナアソビ』のMVが解禁になった。
まだ公開もしてなかったのに、YouTubeでは年齢制限がかかり、18禁になっていた。
解禁後も18禁である。


ある人に自分の作品を見せたことがあった。
その人はいくつか見て「すべて良い」と言った。
続けて「どれが一番自分で良いと思う?」と聞いてきた。
私はどれも良いと思っていたし、どれも良くないと思っていた。
黙り込んでしまった。
そして、「どういう視点で見てですか?」と返した。
「自分の視点でいいよ」と言われた。

自分の視点なんか持ち合わせていなかった。
良いか悪いかは自分ではいくら思っていたって、相手から見えるものが違えばそれは違うものになってしまうと思った。
色んな解釈を持たせたものを出すならまだしも、自分の中に正解があるものを出してしまったら、それと違う意見を認められなくなってしまう。
それは間違っていると思った。
私がいくら伝えようとしたって他人から見たら違うものだったりする。
最大多数の意見が世界なんだろ?この世の中。
それを辞めてくれるなら、私はこの考え方から降りるよ。
だから、この人といくら話しても分かり合えないと思った。

たぶんその人は自分を肯定できていて、自分の軸は正しいと思える何かがあるんだと思った。
もっと簡単に言うなら、自分がそこにいていい、あるいは生きていて良いと思っているのだと思った。

私は自分で何かを選んでいい立場でもないし、自分が正解だとも思えない。
自分が生きていること自体不正解な気がしている。
不正解の人間が「これは正解です」なんて言える訳がない。
だから、何をもって良いと思うかの視点をまず提示してほしいんだ。
だとしたら、私もそれに賛同できるかもしれない。
「別に自分が良いと思うものでいいんだよ?」と言われたけど、黙っていた。
しまいには、「まだ評価するスタートラインにもいないんだから、自分の感覚でいいんだよ?」と言ってきた。
うるさいなと思った。

自分の視点ではダメなんだ。
常に他人との関係を見つめないと。
他人軸は苦しいかもしれないけど、自分を他人から否定されるよりはマシ。
だって、本当は生きてちゃダメなんだよ?


私がクリープハイプを好きな理由の一つに、不正解に大きな花丸をつけてくれる感があると思う。
不正解でもそこにあってもいいし、なんならそれが普通だよと言ってくれているような安心感がある。
「あれもダメ」「これもダメ」ってどんどん捨てていってるのに、後追いで全て拾ってきて「宝物だよ」って言われたら、そりゃ泣いちゃうでしょ。
どんな曲を出したって、どんな人間に変わってしまったって、尾崎世界観は尾崎世界観なんだと思う。

別に死にたいと思いながら、生きてもいいと思うし、他人軸でもいいと思う。
自分がいかにも正しいと見栄を張らなければ、どんな生き方も許容されるべきだと思う。


#エッセイ #コラム #日記 #クリープハイプ #尾崎世界観

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