見出し画像

無意識の狂気

私は小さい頃やめたことがある。



それは、一緒に遊んだ友人に対して、
「今日楽しかった?」
と聞くことである。

それは無意識であった。
なぜ、それに気付いたか。

小学生の頃、一度意識をもって、「私となんで遊んでくれるの?」と聞いたことがある。
その時、その友人が「今日楽しかった?と聞いてくれるのは、にゅーとらるだけ」と言ったのである。


私は驚いた。
自分だけがそんなこと言っていたのである。
正直無意識にそんなこと言ってたし、自分だけとも思っていなかった。
所謂、普通だと思っていた。
でも、違った。
それは、変なことだった。 
自分で自分が怖くなった。


狂気である。
そんなこと聞いたところで、「楽しくなかった」なんて言う人はいないと思うし、ただ自分が安心したいが為の発言だったように思う。


だから、やめた。


でも、私が目の前にいる人を絶対に喜ばせたいと思うことは変わらないし、その人が笑っているのは私が頑張ってるからだし、目の前の人が笑わないなんてありえない。

だって、私がこんなに頑張ってるんだもん。
私の目の前にいて、喜ばないなんて論外。
こんなに頑張ってるのに笑ってくれないなんて、私といないほうがいい。


それをやめても、特に変わらなかった。
自分が目の前にいる人を喜ばせたいという気持ちは変わらない。
いまの判断は、笑ってくれているかどうか。
それが嘘であったとしても、パフォーマンスとしてであったとしても笑っていてほしい。
それで安心したい。
自分として、そこにいていい安心がほしい。
結局、自己満なんだろうなぁ。
それもそれで恐い。


最近の友人たちは、皆一様に
「今日楽しかったー!!また今度ね!」
と言ってくれる人が多い。

私がちゃんと会いたいと思う友人たち。


絶対に表情には見せないけど、泣きそうになる。言葉では伝えるけど、嬉しさは言葉にはのらない。


小学生の時にやめといてよかった。


#エッセイ #人生 #小学生 #狂気 #普通とは

お金よりもスキしてくれるとスキ