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noteがうまく書けないのは、自分に飽きてしまったから


来月で、noteを書きはじめてから半年を迎える。

ここ最近のわたしは、うまくnoteが書けない。

”うまく”というのは、ライティングスキルがどうとか、そういう話ではなくて。自分の中で波に乗りきれていないというか、とにかく「書く」ということにしっくりこないのだ。



このアカウントを立ち上げたのは、今年の6月。始めたばかりのころは書くことが本当に楽しくて、楽しすぎて、ずっとずっとnoteにいた。

なにを書こうか考えて、実際に手を動かして、投稿後は数時間おきに反応を見に行った。だんだんとフォロワーさんが増えてきて、みんなのnoteを読みに出かけた。関連記事として出てくるnoteも、永遠に読み続けた。

毎日書いても、書くことがなくならなくて。いつまでも書き続けられると思った。


久々に自分のnoteを読み返してみると、そんな初期の思い出がぶわっと蘇ってきて。いま読むと「もっとうまく書けたのに」と感じる部分もたくさんあるんだけど、そんなことよりも自分が楽しそうなのが伝わる。

わたしの文章は淡々としていて、あまり感情が見えにくいと思う。その無機質さが好きであえてそういう風に書いているのだけれど、それでもなぜかワクワク感が伝わる。



そうだ、毎日ワクワクしていた。

わたしは人付き合いを削っているから、同年代と比べると第三者と日常会話をする機会が本当に少ない。自分の感情や考えを、言葉にすることがほとんどないんだよね。

だからこそ、noteを始めてからは言葉が止まらなくなったんだと思う。「わたしって、こんなにおしゃべりだったんだ⋯!」って驚いたくらい。文章で表現することは、正解がないからこそワクワクする。



きっとここ最近は、ワクワクが足りなかった。「書くこと」に飽きたわけじゃない。ワクワクしていない自分に飽きたんだ。


このnoteでは、今日までに120記事を書いた。

なにかを書こうとしたとき、「このテーマ前にも書いた気がする」「この話題をいまさら書いても意味ないか」と考えて見送った記事がいくつもある。きっと前のわたしだったら、いま書きたいから書く!と投稿していただろう。

約半年で、自分の想像を超えてたくさんのフォロワーさんに見つけてもらえた。「がっかりさせたくない」ばかりを考えて、自分で勝手に投稿のハードルを上げていた気がする。フォロワーさんが見つけてくれたのは、好き勝手に楽しんで書いてきたわたしの言葉なのに。


初心にもどるって、まさにこういうことかもしれない。

書きたいから書くし、どんなテーマを取り上げようが、どんなタイミングで投稿しようが、自由でいいに決まってる。

そして記事を読んでどんな感想をもつかも、読む人の自由だ。わたしがコントロールできることじゃない。だからこそ、見つけてくれた人を大切にする。それで十分な気がした。



好きすぎて依存的なほどnoteに沼ることもあれば、こうしてメンヘラを発症し勝手に反省会をひらくこともある。

この不安定さこそ自分らしいなと思うし、こうしてずっと予測不可能でいたい。そのほうがおもしろいから。


読んでくれてありがとう。またね。



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ゆうあん
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