BPL観戦記② BPLと将棋

私のBeatmaniaIIDX以外の趣味の中の一つに将棋がある。現在はBPL
に対する熱量が上回ってしまっているが、過去は自分で対局する事もあったし、将棋関連のニュースは日々追いかけていたし、顔をみればどのプロであっても全員名前が出てくるほどだった。

最近は藤井聡太さんというヒーローの誕生もあり、巷ではまた将棋ブームが再燃しつつあると感じている。ふと将棋界とBPLの事を考えてみた時に、意外と様々な共通点があるという事に気づいた。今回は将棋とBPLを通して感じた共通点からプロたちの素晴らしさを語ってみたいと思う。

①ヒーローとライバルの存在

前述のとおり、現在の将棋界は藤井聡太プロの活躍が目覚ましく、将棋とは縁が無かった人達もこぞって彼の存在を認知し応援するようになった。豊島将之さんとは既に大舞台での対局が増え、既にライバルと呼んでそん色ない存在となっている。遡れば国民栄誉賞を受賞した羽生善治さんと宿命のライバル谷川浩司さん、さらに遡れば昭和の両雄大山康晴さんと升田幸三さんのライバル関係には心踊らされたファンも多かっただろう。

BPLを見てみると、既に1シーズン目が終幕した時点でもチーム間のライバル関係や選手個々のライバル関係が見えてきつつある。例えば、FINALで対戦したAPINAとROUND1はファーストから通して、それぞれ1勝1敗1分け。決勝にてAPINAが勝利し決着はついたものの、仮にこのままBPL2022に突入した場合にROUND1は黙ってはいないだろう。既に良きライバル関係となっているに違いない。

個に目を向けると、前述した2チームの1巡目のDOLCE.選手とU*TAKA選手は双方ともKACにおける実績もありドラフトでも注目の的であったが、複数回の直接対決もありながら決着はつかず。このカードはファンであれば何度でも見たいものだろう。

またBPL ZEROで直接対決しドローに終わったANSA選手とG*選手、日々友人として切磋琢磨しあっていたFRIP選手とRKS-32(じゅんた)選手、冥(ANOTHER)のスコアを競っていたと公言しているNORI選手とU76NER選手など、BeatmaniaIIDXを通して生まれたライバル関係はチームを越えて心を揺さぶられるものとして我々のもとに届けられた。

このように、多くの選手が活躍する舞台であっても特にライバル関係というものはその試合をよりドラマチックに演出してくれる要素の1つとなっている。

②スポーツでは無い競技におけるスポーツ性

将棋は「頭脳のスポーツ」と呼ばれるほどの競技である。対局時間こそ、自分の手番の時に使える「持ち時間」や1日制か2日制かによって大きく異なるが、プロの話によれば対局後には体重は数キロ落ちる事もあるという。傍から見れば盤に向かって考えている「だけ」に見えるが、プロ選手が命をかけて繰り出す指し手を積み重ねる対局に対して消耗するエネルギーは凄まじいものがあるのだろう。

BPLも元々はBeatmaniaIIDX。音楽ゲームは自分一人の世界で遊ぶゲームである。しかし、e-Sportsとなった時には選手のゲームに対するストイックさが随所に垣間見ることができ、プレイ直前のシーンでは各選手のルーティンなどが見られることもある。また、Twitterなどで選手が上げてくれる写真などでは特定の曲に対するやり込みや、選曲を予想した上でカウンター狙いをしていた時のスコアなどをアップしている人もる。
また、対戦後は高々2曲プレイした「だけ」の後なのに非常に消耗した選手の様子も見て取れる。それだけ精神を研ぎすまし、神経を集中させたプレイを披露してくれているのだろう。我々が日々遊んでいる境遇からは想像を絶するものだ。だからこそ、対戦がここまで盛り上がるのだと思う。

③AIの台頭と人間の素晴らしさ

競技である性質上、強者こそが正義であるのは事実である。将棋の世界では近年AIの成長が目覚ましく、トッププロの実力を凌駕するほどになってしまった。AI開発者の中には将棋棋士という職業に関して「AIに奪われる職業」とまで宣った者もいた。しかし、ここまでAIの強さが認知されようとも将棋界は無くなっていないし、むしろヒーローの誕生によって更に活気づいているように見える。それは何故か。

ファンは将棋だけを見ていないからである。人間同士の戦いとそれに伴って誕生するドラマや人間模様など、そして解説や聞き手の大盤解説、ひいては対局者が対局中に口にした食事やおやつにまでスポットライトが当たるのだ。それを見てその日の食事を決めるファンもいるほどである。プロの一挙手一投足にまで注目が及んでいるのだ。

BeatmaniaIIDXにはAIの参入は当然あり得ないのだが、将棋と近い要素として理論値を叩き出すのが不可能という点がある。将棋は江戸時代以前からの歴史があるにもかかわらずAIが登場した今ですら最強の戦い方というものに答えが出ていない。長らく先手が微妙に有利という定説があったにもかかわらず、後手番専用の「後手1手損角換わり」という従来の常識をぶち壊す戦法が登場したのがほんの15年ほど前であり、今なお研究は止まらない。

BeatmaniaIIDXに関しては最高難易度クラスの曲はもちろんの事、多くの曲で理論値は出ていない。かなり長らくプレイされている音楽ゲームであるにも関わらず、である。もちろん、人間が理論値を叩き出す事が不可能な構成をしている曲も複数存在するが、そんな事にはおかまいなく日々スコアを突き詰める姿とそれを試合の場で叩き出せるかどうかという人間力にスポットが当てられる事が多い。

この天井が見えない世界において尚挑戦を続ける人間たちの姿が両者の共通点であり、それを応援するファンたちも試合の結果以前にそれに対して立ち向かう姿に対して賞賛と敬意を表しているのである。

④自然と表れているBPLにおける「米長哲学」

将棋には米長邦雄プロが提唱した「米長哲学」という考え方がある。詳しくはこちらをご覧頂きたい。

一部を引用すると「「相手にとって重要な一局には全力を尽くせ」という米長の勝負哲学だ。」 現在の第一人者、羽生善治さん曰く「将棋界の要であり礎でもある」

BPLはリーグ戦で行われるし、また将棋界もリーグ戦で行われる棋戦が存在する。リーグ戦という性質上、最終試合を待たずして自身の結果が判明する場合がある。しかしそういう状況においても、一切の妥協や手抜きを許さずに戦うべしという教えである。Wikipediaにも、著書を引用して記事が書かれている為参考にしてほしい。

BPLでは一試合の中でも最終曲を待たずに試合を決する場合が複数あったし、特に試合数が多かったセミファイナル以降では大将戦の前に試合が決着している場合があった。勿論最後までしっかり戦わせるという意味で個人表彰があったり、進出の上ではポイントも重要になるルールになっていたのであるが、試合開始前からチームの敗退が確定していたケースもあった。それでも彼らは全力だった。少なくとも私にはそう見えた。これに関しては私からは多くを語らない。是非引用した元記事を読んで頂き、勝負における「米長哲学」の素晴らしさを知って頂きたいし、BPL選手は知ってか知らずの内か、その精神を持っているという事を感じてほしい。

⑤ノーサイドの精神

ラグビーワールドカップの日本チームの活躍によって広く知られるようになった「ノーサイド」の言葉。スポーツマンシップの1つの要素を表現する良い言葉だと筆者は思う。そして、その言葉はある種の「スポーツ」である将棋とBPLにおいても存在している。

将棋においては、対局中は「対戦相手」でもそれ以外のシーンでは「研究仲間」である場合もある。数名で集まり練習対局をして、内容を検討するのである。将棋プロは等しく「将棋道」を邁進する仲間という事なのであろうか。また、YouTubeなどでもプロが配信するチャンネルがあり、ゲストで他のプロが出てきたり、複数のプロが登場し将棋以外のことをして楽しんでいるシーンが配信されたりなど、盤の外ではノーサイドの精神が明確に見て取れる。

BPLにおいても、試合終了直後から対戦相手同士で談話する光景が見られたり、YouTubeではチームの枠をこえてコラボ配信が行われたりと対戦であることを忘れてしまうような光景を見る事ができる。もともと1人の世界で遊ぶゲームという性質上、同じゲームを遊ぶ仲間という意識があったり、その関係で同じレベル同士の友人となっているプレイヤーも多い事から、もともと対戦相手という意識というよりは良きライバルという関係性の方が強いのかもしれない。

一方で公式大会では無いアリーナバトルやイベント企画などによる対戦イベントでは、試合中と同様に集中し画面に向かっている姿を見る事ができ、公式戦でなくともプロとしての姿をしっかりと見せてくれる。勝敗はかかっていなくともプロとしてのプライドがかかっているのだろう。

両者ともにこういったプロ意識を随所に垣間見る事が出来るのでリスペクトや賞賛が飛び交うのであろう。

・おわりに・

賞金や大会の規模こそ違えど、BPLの選手たちは間違いなくあらゆる面で「プロ」の選手であると確信している。BPLを構成するのはプロ選手や企業だけではない。ファンが存在しない事にはこのような事業の存続は不可能である。

インターネット上の発信が交流が増えてきた現在では心無い一言が飛び交うシーンもある。我々ファンも「プロのファン」となってBPLの発展へと寄与できれば素晴らしいと思う。

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