家族 殻だった
父が亡くなったのは突然だったとも言えるし以前より覚悟していたとも言える。
というのも10年以上前、私が大学生だった頃に彼は病気で倒れ入院し、会社を辞め、すっかり余生を送り始めたのだ。私が休みの日は父の作ったお昼ご飯を食べて、リンゴを剥いてもらうような生活だった。父は元々料理が好きなのか土曜のご飯も父の担当だった。お昼のときだけ納豆と卵焼きの日があって、その卵焼きはとても美味しかった。作り方を教わりたいとは思っていたけれど美味しいとも伝えなかったし教わることはできないだろうと当時から思っていた。彼は規則正しく生活し図書館で借りた本を読みテレビを見て散歩に行き晩酌を楽しんでいた。その頃私はまだ子供だったので朝父が起きてこないと和室の襖に耳をつけて息をしているのかよく確認したのだった。
だから10年以上父が死ぬかもしれないという不安を持ち続けてきた。お父さんが死んだ後の世界は自分には考えられなかった。でも私と父の間には色々なことがあって、多分一般的な親子関係ではなかったように思う。だから死ぬ前日に私は父と久しぶりに再会することになる。
父は看護師さんのいる老人ホームに入っていて、それもその日に初めて知った。病室に入るとそこには私の知らない人が息絶え絶えに横たわっていた。顔の肉はこそげ落ちガリガリで眉毛や髪はカサカサで毛羽立ち、色んなチューブに繋がれて生命を維持している。まるで父とは違う人のようだ。
最後に会った父はこんな姿ではなかった。脂があり肉があり眉毛も髪も黒く艶があり話すこともできた。もうすっかりおじいさんだ。父はいつの間におじいさんになったのだろう。その姿は祖父が亡くなる前の姿によく似ていた。
眉間に皺を深く寄せ、兄の問いかけにうなずくか首を僅かにふるかしかできない。かすれたカラカラの息で、何かを言おうとしていて、でもそれが何か伝わることはなかった。もう筆談もできないんだ、と兄に言われ、もう父と意思疎通することは今後ないのだと理解した。すると最後に私たちが交わした会話はずいぶん前のもので、それはあまりにも最後にふさわしくないものだった。面会中の1時間前後兄は色々と話しかけ父も応えており、私はその間ずっと泣いていた。何が悲しいのかは分からなかった。兄が父にさよ?と言うと父は頷き私は顔を覗いた。もうメガネもかけない父の黒い目は私を捉えているのか分からなかったが、何かを言おうとし、そして何も音はでてこなかった。何を言いたいのかは何となく分かった。ちゃんと食べてるかとか困ってないか、とか。もし話せたらまた喧嘩になったかもしれないからもう良いような気がした。
途中で職員の人がきておむつを替えると告げた。父がおむつをしていることも知らない。私は見たくなく廊下で待っていた。秋のよく晴れた気持ちの良い日で窓から陽が入り外からは子供の遊ぶ声が聞こえどこかの部屋からはテレビの音がしていた。交換を終えると父はすっきりしたのか眠った。すやすやというより魂がスコンと抜けたようだったが息はしていた。ただもうこちらの世界には戻らないことを思い知らされる姿だった。兄はまた来るねと声をかけ、それが最後になった。
翌日行くともう殻だった。昨日の苦しそうな息の音は聞こえず物体のように。私は死に顔もろくに見なかった。兄が到着し、もうすっかり様子が変わった父にそれでも父さん?と呼びかけ、何の応答もない現実を突きつけられていた。父は死に、まるで物みたいに運ばれドライアイスをしきつめられた。待っている間に昨日父のおむつを替えた人が来て、昨日会えて良かったねと優しい笑顔で言い私の膝に手を置いた。良かったのか分からなかった。
新潟の田舎の四男坊。家の墓には長男しか入れないような地域に産まれた。田舎からでてきて建築士になり働いて母と結婚し2人の子供を育てた人生。彼がどういう人だったのかよく分からない。南魚沼のコシヒカリが1番美味しいといつも言っていた。大晦日には煮物やら何やらごちそうを作り何故かとっておきの高い鮭を何匹も食べた。魚沼の風習なのだろうか?無口な人だった。最後に何かで一緒に田舎へ行ったときには夜星が綺麗だから見てくるようにと言ってきた。父は田舎が嫌いなのか好きなのか分からなかった。どこまでも広がる田んぼ、続く山々、水路を流れる雪解け水、畑に咲く野菜や花、台所の裏手には鯉がいて残飯を餌がわりにあげたりした。父はいつも魚沼の天気もチェックしライブカメラもよく見ていた。冬はいつも雪に包まれる場所。父が息をひきとったのは新潟に今年の初雪が観測された少し後のことだった。
エッセイ集『家族』書店にて発売中。
読めば無数の傷が見えてくる
そして
書くことで治している彼女の姿も
植本一子
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