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おもうこと

 僕は高校を出た後の1年間、文字通りに何もしなかった時期がある。というのも、高校の頃に持病が悪化して人生を諦めていたからだ。
 生活費を稼ぐだけのバイトをして、人に迷惑はかけずに死んだように生きようと考えていた。
 当時の僕の生活は凄惨たるものだった。

 朝、遅くに起きてバイトへ行く。
 昼にコーラを飲んで。
 夜にカップ麺とコーラを胃に入れて、気絶するまでテレビを見たりネットサーフィンをする。

 実は当時、急に神経性胃腸炎になったのだ。80数キロあった体重が2ヶ月で15キロも落ちた。本当に癌になったんじゃないかと不安になって、病院に行った。なんともなかった。
 もともと僕は自律神経が悪い上に、かなり神経質な性格だったので胃腸のことは神経性のことと診断されて。
 しかし、まじめに生きるつもりのない僕は「これは天罰だな」ぐらいに思っていた。なんなら、食費が浮くからいいやとさえ思っていた。

 そんな閉塞しきった日々、あれは夏の終わりのある日、23時からのことだ。テレビでボクシングの録画試合を流すらしく、暇つぶしに見ることにした。
 その試合にいたのが、村田諒太だった。

 僕は子供の頃に母を亡くした。
 母は「(僕)は優しいから、人との競争に向いてない。だから、格闘技は絶対にやらせる気にはなれない」と生前に言っていた。
 僕はその言いつけを破り、少しだけ格闘技を習っていた時期がある。実を言えば、当時は母がまだ生きてる気がして叱られるようなことをしたら堪らずに出てくるのだろうと考えていたのだ。
 14歳の春の終わり頃、母の遺骨が移動することになり落ち着いた心で改めて骨壷を見た。暗い、どんよりとしたこの世の底みたいな墓の下に骨壷が納められるのを見た僕は、母の死を理性でなく本能として実感した。
 あれから僕の神経は悪くなっていった。
 色々なことがそれからも積み重なり、僕は人生を諦めていたのだ。

 そんな僕がボクシングを見たのは、よく分からない。なんなら僕は子供の頃にテレビで見かけた亀田兄弟のヒールっぷりに嫌悪感が強かったほどだ。ただ、ただ。僕は誰かを攻撃したいと思うだけで、実際には攻撃ができなかった。その鬱憤を晴らすために見たかったのかもしれない。
 合法的に人が傷つくなら、罪悪感は動かないだろう、と。

 村田諒太の試合の細かい点を僕は覚えていない。ひたすらに強く美しかった。綺麗な考え込まれた戦略が、強靭な肉体に収まりきらない程のパワーで120%成立していく。

 終わりはあっという間だった。

 ジャブが当たったと思った。それほど効果的な一撃には見えない。しかし、もう一度ジャブを放つ。これも効果的にはやはり見えない。と、思った次の瞬間に稲妻のようなストレートが綺麗に入った。


 僕はその時に、人生で初めてスポーツに感動した。


 この試合を見たことをきっかけに「死ぬ気でがんばろう」と思った。ボクサーは食べるものを食べず、水さえ拒んで、その中で激しいトレーニングをする。中にはそこで亡くなるボクサーもいる。その過程を超えて、リングでただ1人打ち合う。もちろん、そこで亡くなるボクサーもいる。
 ならば、僕も「死ぬ気でがんばろう」と思ったのだ。誰が認めてくれるわけでもないが、誰かに認められるならば「なんだって死ぬ気でやらなきゃダメなんだ」と。あのストレートの稲妻に打たれて僕は思った。

 あれから、大学へ進学し今は定職についている。


 村田諒太の12月29日の試合、相手はゴロフキンでどうなるか全く予想できない。
 ただ、1人の男として僕に生きる力を与えてくれた村田諒太の勝利を切に願っている。

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