ミーハーでもよくない?!
昨年末は、サッカーW杯での日本の活躍と、スラムダンクの映画にとても感動した。
そして例年通り、M-1での漫才にも感動した。
「ミーハー」
そう言われるのがいつからか恥ずかしくなって、そう言われないように気をつけるようになった自分がいる。
そして、
サッカー番組とかを見ていても、
「普段はそこまでサッカー見ないのですが」
と前置きをしてから発言するタレントさんも多い気がして、
自分以外の大人もみんな「ミーハー」と呼ばれないように
気をつけてしまっているような感じがする。
でも、こんな話を聞いた。
「今年は、子供のクリスマスプレゼントにサッカーボールをあげる家が多いらしいよ」
と。
これは特にニュースになっていない、井戸端会議レベルの話なのでソースはないのだけれど、身近な人の話なので事実なんだろうと思う。
自分のことで言うと、年末にスラムダンクの映画を見てから、
すぐに2回目を見に行き、さらに漫画を全巻買った。
子供の頃にも全巻持っていたが、あらためて買ってしまったのだ。
それくらい、感動した。
スラダンを全巻読破して、
クリスマスプレゼントにサッカーボールが人気だった話を聞いて、
風呂に浸かっていたら、ふと
「ミーハーでええやん」
そんな言葉が浮かんできた。
いや、本当にそうだ。
人生、何かをはじめるには割と強めのきっかけが必要だ。
ショックに近い衝撃が。
でも、そんなことって滅多にない。
今回みたいに、これほど感動するW杯を見れることも、そうそうない。
毎回W杯を見ていても、毎回感動的なわけではないし。
映画を見ても、1万円越えの漫画を全巻買い直すほどの熱を与えてくれるものはなかなか出会えない。
ましてや今はサブスクで映画を見れるし、漫画だってジャンププラスで無料で読めたりする。
これが将来的に何かに繋がるかはわからないし、
大抵は何にも繋がらないだろう。
これをきっかけに、自分がスラダンや漫画やバスケを深掘りするかもしれないし、しないかもしれない。
少年が、サッカーにハマってプロになったり、W杯に行ったりするかもしれないし、しないかもしれない。
そんなのはわからない。
けど、わからなくていいし、繋がらなくていい。
そもそも「何かのために、何かをやる」という発想が、
とても大人ぽくて、打算的で、つまらない。
そして、「ミーハー」という言葉を気にするのも、
周囲の目を気にした、自分の感情や感動をおろそかにした行動で、つまらない。
人生は、物質的・経済的なものだけでなく、
「楽しい・嬉しい・やってみたい」という初期衝動の感情的な豊かさも
とても大事だと思う。
そんな豊かさをもたらしてくれるのは、
「ミーハーと言われるからやめとこう」という行動よりも、
「ミーハーでもいいから、やってみて、ハマってみちゃおう!」という行動だと思う。
ミーハーという言葉を恐れずに、堂々と受けとめてもいいんじゃないかな。
読んでみて少しでも「いいな」とか「会ってみたいな」と思ったらぜひ会いに来てください!!