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自分は『運が強い』と思えること。

最近、公私ともに「自分って運が強い(良い)なぁ」と思えることがいくつかありました。ふと目の前にチャンスが訪れたり、「こうなればいいのに」と思うことが自然に実現したり、過去の積み重ねによっていま起きている出来事に「自分は運が良かったんだな」と振り返ることができたり、と。

以前から「自分って運が良い方なのかも」と思うことは多かったんです。
良い仕事、職場、仲間にも恵まれていますし、なんだかんだで健康に過ごせていますし、「次の展開のためにこういう人材を採用したいなぁ」って思ったらたまたまそういう人が応募してきてくれたり、なんとなくこういうことやった方がいいよなぁって思ったのが見事にハマったり・・・他にも諸々。
もちろん局所的に言えば悪いことも多々ありますけど、総論でいうと運のいい人生だなって思えます(笑)。


以前、松下幸之助の著書や人物伝などを読み漁っている時期があって、そこでこちらのような話を見かけました。

松下幸之助が採用面接をする際に相手に対して「君は運が強いかね?」と聞くんだそうです。上記リンクにも書いてありますが、実際にその人の運が良いかどうかなんてわからないものです。ただ、自分が運が良い方かどうかを決めるのは自分でできます。それは気持ちの持ちよう次第だから。

たしかに自分も本当に『運が強い』方かどうかなんて実際わかりません。
20代後半までフリーターで過ごしていた頃は「自分はなんて運が悪い人生なんだろう」と(実際は運じゃなくて自分自身に問題があっただけですが)自暴自棄になっていた頃もありましたが、「あの期間があったからこそ現在があるのだから実はラッキーだったな」と今でこそ思えたりするので、その時々の感情で変わるものなのかもしれません。
要は結果論だし、自分の気持ち次第で運が良くも悪くも解釈できるってことだと思います。

・・なので、松下幸之助が判断したかったのは本当に運が良い人かどうかということではなく、『運が良いと思える人なのかどうか』ってことだったんじゃないかなと。

「自分は運が良いかも」って思うためには、自分に起きた出来事をなんでもポジティブにとらえる必要があるのでそもそも前向き思考の人間なんだと思います。たとえ悪いことが起きたとしてもそれを単純に「俺ってついてないな」とネガティブにとらえるのではなく、「成長の機会ができた」「知らないことをひとつ覚えられた」などと解釈することができればそれは突然ラッキーな出来事に変わります。

また、なにごとも「ありがとう」と言えるような周囲への感謝の心も必要ですね。自分には良いことが起きて当たり前、と思っているようだと「自分は運が良い」なんて思わないでしょうから。
そして実績(メリット)があって初めて「運が良かった」と実感できるわけですからチャンスを逃さない嗅覚や行動力も必要でしょう。
そうやって考えると、複合的な要素が絡み合ってはじめて「自分は運が強い人」といえるんじゃないかなと。そしてきっとそういう人材がほしいってことだったんでしょう。


『運も実力のうち』っていう言葉がありますね。
あれは半分本当で半分違うと思っています。先述のように、自分の考え方次第で運は引き寄せられる(引き寄せたと思いこめる)と思いますが、本当に偶発的な運(機会)というのもあるので、結果論だとしても「運=実力」というような大げさなことはちょっと言えないな、と(苦笑)。

ただ、偶発的な運だと思っていても、実は普段からそういうものを引き寄せる発言や活動をしているから必然的に運が来ている場合もあるわけで、その場合は実力といえなくもないな・・とも思えるので、この辺は難しいところですね。でも『実力だ』って思っちゃうと驕ってしまうかもしれないのでそこは謙虚にいたいところです。


なんにせよ、成功した場合は『(若干実力があったとしても)運のおかげ』、失敗した場合は『単なる実力不足だから』と思っていれば、気分的にラクで向上心をもって生きていけるような気がするので、今後もその考え方で行こうと思います(笑)。

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