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ポメラ日記 2020年3月16日(月) いつでも日記を書く隙をうかがってる



とてもとても風が強いようだ。
ゴミ捨てに行ったささださんが、
「すっごい寒いよ」
とお知らせしてくれた。

よんださんは寝返りからもとの仰向けにもどる、通称「寝返り返り」を覚えた。
これで理論上は横方向にどこまでも行ける。
すばらしいことだ。
よんださんがどこまでもどこまでも転がり、お部屋の端まで転がり、階段をなめらかに転がり、芽吹き始めた葉のひるがえる街路を転がり、電車の行き来につやつやと磨かれた線路を越えて転がり、坂道を転がり、春の光にもろくひかるコンクリートの防波堤を越えて転がり、少し冷たい風の吹く乳白色の砂浜で、穏やかな海を腹ばいになってきょとんと眺めている様子を想像する。まだ逆立った頭の毛が、海風にそよいでいる。
わたしは想像の中のよんださんに、寒いだろうと上着を掛けに行く。
それから、しばらく一緒に海を見て、うみ、と、なみ、と、かぜ、を教えて、抱っこひもに入れて電車で家に帰る。

電車で数駅先の街に行った。
現世の欲にまみれて申し訳ないが、おすすめされたプリン・ア・ラ・モードを食べるためだ。あと、ポメラの入る肩掛けの小さな鞄を探すためだ。今愛用しているポシェットに、ポメラが絶妙に入らず、ポシェットからポメラをはみ出させて入れるか、大きな鞄をもう一つ持たねばならない。とても不便だ。
行く先々のお店で希望を伝えて、店員さんと相談するが、なかなかぴったりのものが見当たらない。なにしろポメラは横長い。これがすっと入る鞄となると、縦や厚みもそこそこ出てしまい、そうすると赤子を抱えたわたしには邪魔になる。
途中で疲れて、と自分に言い訳をして、おすすめされたプリンのお店に行く。
ソファ席に座り、よんださんを抱っこひもから外して隣に座る。
百貨店に入っている喫茶店ではあるものの、気取ったところのない、昔の趣のあるお店だった。お店の人も、赤子ににこにこしてくれる気さくな感じだ。が、サービスはひゃ、ひゃっかてーん! という感じだった。
まず置かれる水のグラスとカトラリーの位置が、遠い。

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嫌がらせ? と思われる向きもあるだろうが違うのだ。これは、赤子が腕でテーブルの上をなぎ払わぬよう計算されつくした距離だ。
そして、赤子が落ちぬよう、すっと椅子の前に添えられる椅子。
完璧だ。
もちろんおすすめされるだけあって、プリンも美味しい。プリンは卵しっかり固めで甘さ控えめで、その分アイスクリームが甘く、添えられる果実は繊細、そしてちょこんと乗った小さなリーフパイが祝祭感を出してくる。

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そう、プリン・ア・ラ・モードはお祭りだ。テーブルの上の小さなパレード、晴れた空に吸い込まれてゆく紙吹雪と拍手と笑い声、そして白いクリームの煙をたなびかせた花火。
からになったお皿の前で、パレードの終わりの静けさとともに、カフェオレを飲む。
そろそろ出ようか、と荷物をまとめ始めた瞬間に、よんださんの前に置かれた椅子が笑顔とともにどけられた。
みなさんも子連れでプリン・ア・ラ・モードが食べたくなったら、上野松坂屋4F喫茶トリコロールへどうぞ。

サコッシュがちょっと丈夫になったような、ちょうど良いサイズの肩掛け鞄をみつけ、早足でぱんださんを迎えに行く。
公園に寄りたいと言われたのを、わたしの体力が持たなさそうだったので、なだめすかして家に帰った。よんださんもちょっとお疲れのようだ。
ぱんださんが道みち確認する。
「このきは、だれかがだいじにしているから、そっとする」
「そう、その通り。傷つけないでね」
「どんな、くさなら、もってかえっていいの?」
「うーん、お家の草じゃない、空き地のくさとかはなかなぁ」
「どんなところ?」
というわけで空き地に寄って、ぱんださんは草ではなく石ころを拾って帰った。
家ではぱんださんのアート魂に火がついて、石ころに絵の具をつけて紙にかきたいという。漠然とアートっぽい。
漠然としたアート的衝動ではまあ謎のカラフルな染みが画用紙に展開されただけであったが、ぱんださんの中では
「ここでー、ごっちんてけがしてー、しょうぼうしゃと、きゅうきゅうしゃがきて、たすけた」
と立派なストーリーが展開していた。
多分将来は絵本作家だと思う。


将来の絵本作家のための寝かしつけの本は、今日はなかった。
ぱんださんが絵本よりテレビのストーリーを一本多く見ることを選んだためである。


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