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「カタカムナ文献」~ウタヒ第1首~

ウタヒ第1首

読み方

「カタカムナヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナヒビキ」

捉え方

この図形のような一つ一つを「音声符」と呼びます。
「中心図象」は、「ミクマリ」ですので、「魂」や「エネルギーの放射」「陰陽」などを、描いているのではないか?」と、私はイメージしましました。

研究者たちの「解釈」

「音声符」の一覧表を以前の記事で作成していますので、みなさんも照らし合わせて、自分なりの解釈を探求するのも、「ヒビキ」を奏でる近道かもしれません。

ここでは、「カタカムナ文献」を、長年に渡り研究されている「学者さん」の解釈を紹介いたします。

「潜象から独立し、潜象が六方向に広がった主は、始元が始元と重合し、万物が発生する。現像界において、変遷(へんせん)し進行して、方向性をもって示されている。根源的な存在の示しは、根源の力が重合し、潜象界・現象界の界面から、微粒子となって完結する。
潜象界と元象界の界面に、個々の粒子として示され、現象宇宙界の、個々の現象として存在を保っている。
全ての現象は、潜象の主の働きによるものであり、潜象・現象の界面から独立して、生命の根元から、ほとばしり出る」

理解できますか?
平面で読み解くとこうなると思います。
そして、とても高度で深い解釈だと、私は思いますが、難しいですよね?
「潜象」とは、「目に見えない世界」(カム)
「主」とは、「核」「無」の世界(ナ)
「始元」とは、始まりの元(カムのナはヒ)(アマのナはビ)
「現象」とは、「目に見える世界」(カタ)
「発生」とは、エネルギー(キ)
などと意味を持ちますが、とても専門的な学問となってしまいますので、私なりに、イメージしやすい解釈をしていきたいと思います。

私なりのイメージ

カタカムナのヒビキとは、カムの世界のアマに響かせるものです。それは、カムの世界のアマに向けて…
すべての生命体は、カムのアマから発生して、目に見えない小さなエネルギーが、六方向へ進行しながら「核」(無)を通過して、摩擦をおこしながら「目に見えるエネルギー」と変わり、この時に「魂」が入る。これ以降は、「魂」の意思で形を作っていく。
すべての生命体は、「カタの世界」から「カムの世界」への「ヒビキ」から始まります。
それが「カタカムナヒビキ」です。

このように私は感じますが、皆さんはいかがでしょうか?

また、アシア族の「アシアトウアンによって、カタカムナウタヒを継承していく」と解釈することもできます。

「フトマニ」をイメージで理解(全身で)している方は、皆さん類似した解釈をするのではないでしょうか?

私たち生命体は、平面上で生きていません。
「カタ・カム・ナ」を「放射状」に生きています。
ですから「ウタヒ」も、「カタの世界」で理解しようとすると、「答え」は、「立ち位置」や「視点」によって様々あって良いのではないでしょうか?

繰り返しますが、

「カタの世界」から「カムヒビキ」を「アワ」に届けて、「カムの世界」から「アマウツシ」をする事で、「フトマニ」の「カタの世界」に進行してくる。そして、この時に「魂」が入り、それ以降は「魂」の意思によって、形を成していく。これが、全ての「生命体発生」の共通である。

これが「ウタヒ第1首」の教えだと、私は感じます。

響かせ方(カタ)

これは、「魂」の「カムの世界」へ「ヒビキ」で伝える行為ですので、私の「ヒビキ」と、あなたの「ヒビキ」は、当然「異なる響かせ方」になります。それは、同じ「魂」は存在しませんから…

ですから、自分の「声」で自分の「ヒビキ」でなければ意味がありません。
「アシアトウアン」なる人は、他者への「ヒビキ」が出来るヒトなのではないかと考えますが…

また、「音程」や「振動」「声質」など、人それぞれにあると思います。
自分の「ヒビキ」を感じるまで、何度も、何回も、響かせましょう!
新しい「ヒビキ」ではなく、退化してしまった「ヒビキ」なので、繰り返すことで、必ず「甦る(よみがえる)」感覚です。

「ヒビキ」ですから、語尾を伸ばす必要があるような気がします。
神社の「祝詞(ノリト)」のように…
文字で書くと、

「カーターカームーナーー ヒービーキーー マーノースーベーシーー アーシーアートーウーアーンーー ウーツーシーマーツールーー カーターカームーナーー ヒービーキーー」

こんな感じで、あとは自分らしい「ヒビキ」を見つけてください。

濁点の概念

第1首では、「ヒビキ」の「ビ」、「マノスベシ」の「べ」と「濁点」があります。「音声符」では、「ヒ」と「ビ」も、「へ」と「べ」も、同じ図形で表していますが、「濁点」がついた時には、「正対」を意味します。
「ヒ」は「根元・始元」などを意味し、「キ」は、「エネルギー・粒子」を指します。
「ヒ」は「カタの世界の根元」だとすると、「ビ」は「カムの世界の根元」と捉えることが出来ます。そして「キ」は「カタの世界のエネルギー」となります。もしも、「カムの世界のエネルギー」であれば「ギ」となるからです。

解釈すると、「ヒビキ」は「カタの世界」から「カムの世界」へ向ける「エネルギー」となります。
まさに、「カムヒビキ」の行為となります

「へ」は「方向」を意味します。「ベ」は、同様に「カムの世界」の「方向」となります。

しかしながら、なぜ?
同じ「音声符」で、「清音」と「濁音」の二通りになるのでしょう?

これは、私の推測でしかありませんが、

現在の私たちは、平面上で「文字」を使い、「学び」や「コミュニケーション」をとっています。また、同じ「音」を持つ表現は、漢字で意味を振り分けて、便利に進化して来ました。
しかしこれらは、「五感」の退化を、同時に起こしています。

当時の「ヒト」は、「生まれて」「育ち」「生きて」「滅びる」、そしてまた「生まれる」を繰り返しており、現代の私たちも同様に、生態系を循環してますが、プロセスが現在よりも詳細ではなかったと考えます。

さらに、「カタ・カム・ナ」で生きているのが「常識」で、五感も鋭く過ごしていたので、瞬時に「カタ」「カム」「ナ」と振り分けて、感じていたので、詳細な文字は、必要なかったのではないかと思っています。

それでは、カタの世界から「ヒビキ」を奏でましょう!

「カーターカームーナーー ヒービーキーー マーノースーベーシーー アーシーアートーウーアーンーー ウーツーシーマーツールーー カーターカームーナーー ヒービーキーー」



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