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記事にはタイミングがある

先日書いた「【2万字】取材とインタビュー記事の書き方における実践的アドバイス集」が先週もっともスキされた記事のひとつに選ばれた。1万PVはいかなかったが、数千PVあった。

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70〜80人の方がTwitterでシェアしてくださり、また嬉しいコメントもたくさんいただいた。書くのに一週間を費やしたので、サポートしてくださった方にも感謝である。

今回は、その裏話を書いてみたい。

記事の構想は、半年前から練っていた。昨年7月からライターさんたちにコンサルを行うなかで、インタビュー記事に関する悩みや相談が多く、Aさんに話したことをBさんやCさんにも話す、という状況が何度もあったので、「これは一度まとめた方が良さそうだ」ということで、何かをアドバイスするたびに、その行ったアドバイスをメモ帳に書き留めていた。

記事は最終的に2万2000字となった。その文字数までは予想できなかったが、少なくとも、相当な時間とエネルギーを費やすことはわかっていた。短期間で集中して書く必要もあったので、他の仕事で忙しいときは書けない。そうしてぼくのなかでは「重要だけど緊急ではないこと」として、ズルズルと先延ばしになってしまっていた。スティーブン・R・コヴィー博士に怒られちゃう。

しかし3月中旬、『嫌われる勇気』などで有名なライターの古賀史健さんが、『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』という本を発売すると知った。そのタイトルを見ただけで、明らかに王道の本だとわかる。発売日は4月6日。ぼくは焦った。

この本は必ず、大きな話題となるだろう。仮にぼくがインタビュー記事のアドバイスを長文で出したとしても、もちろんライターにとって有益な記事にできる自信はあったが、古賀さんの本を前にしては見向きもされなくなるだろう。ボリューム・質の面ではもちろん、経験でも実績でも遥かに古賀さんが優れているのは間違いない。

また、せっかく半年前から構想していたのに、「古賀さんの本を読んだうえでの内容だろう」と二番煎じ的に思われるのも嫌だった。もはや何のためにこれまでせっせとメモ書きを積み上げてきたのか、このままでは水泡に帰してしまう。

今、書くしかない。

仕事がひと段落した3月下旬、ぼくは原稿に着手した。取材前・取材中・取材後それぞれでのアドバイス、という構成にし、そこにメモ書きを落とし込んでいった。約一週間かけて、できあがった。そして4月6日、なんとか古賀さんの本と同じ日にリリースすることができた。

努力の甲斐あって、おかげさまで多くの方に読んでいただくことができた。

2〜3日経つと、Twitterのタイムライン上には案の定、古賀さんの本をよく見かけるようになったから、ギリギリのタイミングだったと思う。今同じ記事を出したとしても、拡散のされ方は変わっていたかもしれない。

ぼくもいちライターとして、週末に古賀さんの本を買い、素晴らしく精度の高い言語化にたびたび膝を打ちながら読んでいる。一度自分のノウハウを整理し終えたあとだからこそ、「これは自分も実践していることだ」「なるほど、ぼくはこうしていたけど古賀さんはこうしているのか」など、単に自分にできていないだけなのか、考え方の違いからあえてそうしていないのか、を棲み分けながら読めている。

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自分の取材方法と全く違うことが書いてあったらどうしようとドキドキしながら読んだが、概ね記事に書いたことと方向性に大きなズレはなかったのでホッとしている。ただ、もちろん古賀さんのひとつひとつの行動の裏側には見えない努力、膨大な思考、そしてプロフェッショナリズムが隠れているので、そこは謙虚に学び、ライターとして向上していきたい。

そういうわけで、記事にはタイミングがある。多くの場合、自分の身に大きな出来事が起きたとき、感情を揺さぶられたときが、「記事を書くタイミング」になるのだが、今回のように、他人の動向、界隈の動向、ときには世の中の流れを眺めながら、適切と思われるタイミングを探る場合もある。これはある意味で編集者的な視点だと思う。

ライターは、ただ書くことだけを考えればいいのではない。「自分の書く記事には真に価値がある」と信じているならば、読者が最大化するように努力するのが責務だと思っている。その記事が誰かを救うなら、その「誰か」の数を増やした方がいい。せっかく書いても、読まれなければ自己満で終わってしまう。どうしたらひとりでも多くの人に読んでもらえるか。そのことをよく考える。

書いている間は、大変だったが、とても幸福な時間だった。クライアントワークが長く続き、自分の書きたいものを書ける喜びを、しばらく忘れていた。すぐにはお金にならない、でも価値のある記事をこれからも書いていきたい。

最後までお読みいただきありがとうございました!