「ある老舗喫茶」のバッハ愛が生んだ奇跡
Facebookを開くと、友達になっていない方からのメッセージリクエストが届いていた。どなただろう?
こんばんは。「珈琲の詩」の渡辺と申します。
2年ほど前にお店に来てくださっておしゃべりをしたことがあります。
中村さんの記事がきっかけで、今日ライプツィヒから高野昭夫さんがお店に来てくださいました!
「え? えーーーー!?」
なんと、すごいことが起こった。このたった数行の言葉に感動がこみ上げてきたので、これはもう書かずにはいられない。
今から話すのは、2018年2月17日の出来事だ。
何気ない投稿がドラマの始まり
その日は休日で、ぼくは朝から「珈琲の詩」という近所の喫茶店(川崎市高津区)にいた。そこはクラシック好きのマスターが営む店で、いつもレコードで音楽を流していた。店の書棚には音楽関係の本が並んでいて、ぼくはふと手に取ったバッハの本を読んでいた。
そして読み終えたあと、以下の文章を、Facebookに投稿した。その際、お店の位置情報をタグ付けしたことが、ドラマの始まりだった。
クラシック好きのマスターが営む近所のカフェに置いてあった本、おもしろくて一気読みしました。
作曲家としてのバッハの偉大さが広まったのは、彼の死後のことでした。生前の彼は「世界的な教会オルガニスト」として有名でした。
ライプツィヒにある聖トーマス教会のカントル(音楽監督)に就任後、年間約50曲のカンタータを作曲・演奏するという精力的な活動をトーマス教会のために行なったといいます。
ぼくは2009年と2012年にライプツィヒを訪れました。1回目はゲヴァントハウスという有名なコンサートホールで和太鼓を演奏し、2回目は出張で訪れたのですが、その際バッハ資料財団の広報室長(高野昭夫さん)と知り合い、バッハ博物館内の一般公開されていない場所などを見学することができました。
演奏会やパーティーなどに使われていたゾンマーザール(夏の間)と呼ばれる天井が吹き抜けの広間で、バッハもときどきそこで演奏していたということで、非常に感慨深いものがありました。博物館にはバッハの直筆の譜面がありました。1685-1750に生きた人。300年前には大活躍中だったと思うと、そんなに昔の話じゃないな。
バッハは大好きな作曲家だけど、ちゃんと理解しようと思うと聖書やキリスト教の理解が不可欠。しかし、全然わからないぼくでも「良い曲だなあ〜」と耳で聴いて心で感じられるのだから、音楽は偉大です。
思いもよらぬ交流
この投稿をした直後、
「あの、ライプツィヒで和太鼓を叩いた方ですか?」
と突然店員さんに話しかけられて、ぼくは目を丸くした。
(え、なぜ???)
「Facebookで拝見しました」
「あ〜、さっきの投稿、見てくださったんですか」(Facebookの位置情報からお店の人に通知がきたようなのだ)
「私たちも、2000年にライプツィヒに行ったんです。バッハ音楽祭を聴きに」
その方はマスターの奥さんだった。
「いいですね!バッハ音楽祭はぼくも憧れますよ」
「マスターがバッハの気違いでね笑 良かったらこれ、見てください。人の写真見てもつまらないかもしれないけど」
渡してくださったのは、その2000年当時のドイツ旅行のアルバムだった。ぼくがライプツィヒで訪れたカフェなども出てきて、懐かしいな〜と思いながらページをめくっていると、最後の方に挟まっていた当時の新聞の切り抜きを見て、「あっ!」と声が出た。
それは、バッハ資料財団 広報室長である高野昭夫さんの記事だった。
「ぼく、2012年にこの高野さんにライプツィヒでお世話になったんですよ!バッハゆかりの特別な部屋に案内してくださって、とても貴重な体験でした」
「あら、そうなの〜!」
その新聞記事には、高野さんがライプツィヒに来ることになったきっかけも書かれていた。
「家が貧しいから」という理由でいじめに遭っていた中学時代の高野さん。見かねた音楽教師がクラシックの演奏会のチケットをくれて、そこで聴いた荘厳なバッハの音色に感動し、大学卒業後に渡独。ライプツィヒでバッハの墓掃除をする代わりに、牧師寮に住み込ませてもらった。
一度帰国し、不安定な生活から抜け出そうと就職をするも、なじめずに退社。その窮状を伝え聞いたライプツィヒの牧師らが「戻ってこい」と航空券を送ってくれた。
「だから私は、この街に恩返しがしたいのです」という言葉どおり、もう30年間もライプツィヒでバッハとこの街の魅力を日本人に伝え続けている高野さん。現在は「バッハ音楽祭とやま」の音楽監督も務めている。
ひょんなことがきっかけで、素敵なエピソードを知った。ひとつの発信から、何が起こるかわからない。
奇跡の出会い
・・・という、ここまでの一連の話を当時ブログに書いたのだが、今度はそのぼくの記事を高野さんの秘書の方が見つけてくださったそうで、あれから2年半が過ぎた今日、来日中の高野さんが「珈琲の詩」を訪れたというのが冒頭のメッセージだ。
「珈琲の詩」には、バッハのレコードがズラッと並んでいる。
そんな無類のバッハ好きのマスターの前に、「現代でバッハと最も深いつながりを持つ日本人」である高野昭夫さんが現れたのだ。
それはもう、実に喜ばしい、素敵な瞬間だっただろうと想像する。記念写真までいただいた。
その場に居合わせられなかったのは残念だが、この奇跡の出会いを生んだきっかけが、あの日ぼくが書いた文章であることがとても嬉しい。
心に残ったことは、書いておくといい。いつか、何か素敵なことが起こるかもしれない。
P.S. 後日、関係者全員がお店に集まれました。
最後までお読みいただきありがとうございました!