2020/4/4 ETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界〜歴史から何を学ぶか〜」 磯田道史さんのコメントだけ文字に起こしてみた

できることは全部我々でもやるべきだと思っていて、子供たちにマスクをするだけだと、戦車が砲弾を持っていないのと同じだから、飛沫を飛ばさないというのもあるけど、ポケットに消毒薬を持って常に手を洗い、便座だとか、例えばスイッチボタンだとか、携帯電話だとか、よくみんなが不特定多数が触りたいところは、1個ずつ消毒しながら歩いて、消毒液が無いことは辛いから、電気分解で消毒液を作る機械を買って、もう職場で配ろうと、もうペットボトルに入れて配ろうと。やれることは全部やろうと。今まだ来てませんけども、これでみんなに配ろうと。

だからそう考えると、なんか地球って1つの船ですよね、もう。

このコロナウイルスの重要な点って言うのは、他人事がないという点で、取り残される人が居たら、その中でウイルスがもう時間軸にしたがって変化して、どのようになって、また再び我々を襲ってくるかどうか分からないので、この星1つ他人事が無いという視点で臨むってことが重要だと考えますけど、やっぱりそう言う視点でございましょうか。

日本史だってすごく変わってますね。日本の近代は感染症が作ったと言っても良くて、そもそも、蘭学者とか西洋学の信用がなかった時に、むしろ弾圧されてた時に、天然痘を種痘で治したのは彼らで、一気に彼らの信用が高まりますよね。そこへ外国の船がやってきて、それと同時にコレラがやってきたら、外国から持ち込まれたことは明らかですから、もう攘夷ですよ。もう帰れ、それで倒れますよ、攘夷が出来なかった徳川幕府は。

ところが、出来上がった新政府はコレラの対策を求められる訳ですよ。そうすると、新しい政府に、それまで武士っていうのは軍事とか外交だけやってれば良かったんだけど、衛生っていう、あるいは、その都市の基盤整備、水道を行うとか。それぎ出来上がる。できたら今度は、都市に密集して住めるから、工業化の素地ができる。それを考えても、やっぱり明らかに変えるんですよね、社会を。

日本の場合は全く逆で、私は速水融という先生に学んだんですけれども、この先生がスペインインフルエンザ、スペイン風邪の研究の少なさに驚くんですね。なんで先生これ少ないんですかと聞くと、磯田くんそれは風景が変わらないからですよ、つまり戦争や震災は同時期に起きた、風景が一変するから記録に残る。だけど、日本国内で50万人近く亡くなったと言われて、もうすごい数なのに、記録もしないし、歴史家も研究してなかったんだという状況ですから、割と忘れ易い日本人からすれば、風景を変えない感染症と言うのは、非常に忘れられ易いものであると。

少しずつ、その時の新聞の形であらわれて、ストックされた状態で残らなかった。今で言えば、与謝野晶子さんとかが、子供が次々にスペインインフルエンザになって行く中で書いた文章だとか、スペインインフルエンザの時には、劇場や大きな催し物を止めることがほとんど無かったので、やっぱり与謝野晶子はどうして政府が指示で止めなかったのかということを書いていたりとかいうような。

忘れたい、嫌なことは忘れたい、もう嵐は過ぎ去ったんだと思いたい時の行動っていうのは恐いですよね。だから、今回、我々もきっと夏になったら大丈夫だよとか言う訳ですよ。それで、短期間で終わっちゃうよと。だから、初夏に物事を延期しようとか、今でもやってると思いますよ。だけど、果たしてそれが正しいかっていうことは誰も答えがなく、歴史の答えっていうのは、前のスペインインフルエンザの時には、まりが跳ねるように、何回かの波がやってくるというのが過去のほとんど似たような。

スペインインフルエンザの時は、最初かかった人の方がむしろ免疫を獲得していて、次にもっと強毒化して、特に若い人を倒してしまう形になって翌年戻ってくる訳ですよね、冬に。2回目の方が凶暴であると。

我々は100年前のスペインインフルエンザの時よりは、高いワクチンの開発力と情報力は持っている。だけど、人間の高い交流力は持ってしまっていて。

僕、教訓でやっぱり言えるのが、どうスペインインフルエンザの時の師匠の本を読んでみても、思うのが、やっぱり、密集と移動っていうものが、やっぱり、急速に広げる。感染速度をゆっくりさせて、治療法の確立だとか、ワクチンによる集団免疫の獲得まで逃げ込むためには、どう考えても密集と移動の制限というものを避けられないだろうと。

スペインインフルエンザの時は、やっぱり台湾で、力士さん、お相撲さんが罹る。それで、演劇人の島村抱月さんが亡くなるというように、やっぱり、あるんだけれども、ついぞ興業ものは止められることがほとんどない。それで、力士も次々インフルエンザに罹って休場しながら、やっぱり、相撲が取られ続けたってのが100年前。今回は無観客感染。やっぱり歴史の教訓があるような気がします。ということは、密集と移動というのは、密集の排除と、移動の遮断ということは行わなきゃ行けないんだけれど、僕は、実は人間の社会、特に日本の社会そうだなんだと思うんだけれど、外交なんかやる場合には、やっぱり人間側や、要するに国内側の事情で、相手側の事情よりはそっちを優先してしまう場合がある。

つまり、どういうことかって言うと、こらからオリンピックがあるからとか、大国の思惑があるからとか、そういうことで、もし移動やら対策が躊躇うことはあってはならないんではないかと思います。ウイルスの側に合わせなきゃいけない話であると。

経済的な、例えば不況がやってきたとして、本当にリーマンショック級の不況が来るかもしれない。その兆候が見え始めている。そうすると、リーマンの時に、やっぱり大量の自殺者が出てしまった。それが日本だけでも、本当に5千とか1年間で1万とか、そう言うような数が数年続いてしまったら、ひょっとすると我々は本当に上手くやって、数万の死者を出さずに済んだとしても、その後に心理的な問題で死人が出てしまったら問題だから、今から本当にもう死ぬんじゃないと、お金のことは何とかなるからとか、そういったことも、社会の1つの論点のよう気も致しますね、私も。

トータルに社会福祉ということを考えて生き残ると。本当にそりゃあつらいと思いますよ。観光業、僕は京都に住んでいるから、もう、あるいは、東京のいつも僕が行くお店でも、今日の一苦と書かれていて、苦しいの苦ですよ。あの、コロナコロナで客が減りって、自分の売ってる品物の前に書いてありましたよ。本当に気の毒でね。だけど、僕どう声かけてあげようかなと思ったけど、今苦しい、だけど、この苦を耐えないと、将来もっと苦しくなるかもしれないっていう声しかかけられないですね。

パンデミックは、過去は100年に1回とかだったかもしれないけれども、今はもう10年に1回以下になっているかもしれない。と言うのがあって、1回起きてしまえば、世界人口の数%の死があってもおかしくない。どんな戦争よりも恐ろしいということの自覚の下に、考えていかなければならなかったのだということも、やっぱり思いますよね。

つくづく感じますね。つまりウイルスは、この世の中にだいたい360万種くらいまで数えてるんですか。もっと増えてるかもしれないですけど。それで、じゃあ人間にね、やってくるコロナウイルスはそのうちいくつあるかって言ったら、今回7つ目が現れたと。それで、戦後になってから、SARS、MARSと3つ増えた訳ですから、それまで4つだった訳ですよね。それで、コロナがそもそも人間に来たのは、いつかって言うと1万年前で、恐らく牧畜が始まった頃ではないかという風に思われますよね。山羊や羊たちを飼って人間が一緒に暮らしたら、その動物たちの持ってた病気が移ってくると。

言い方が適切かどうか分からないけれど、人類と共に生きて行くようになってしまったコロナウイルスが4種類あると。ひょっとすると宗教の発生とか、そういうことそのものも、こういった牧畜が始まり感染症に直面した人たちが経験して生じたものであるかなあなぞと今考えるんですけどね。

農耕が始まると、大きな都市ができるから、文字もできるし、宗教もずっと発生してくるかもしれませんけど、同時に感染症による大量死ってのも起こりますよね。

その点で気になるのが、今回感染症と言えば、いや今回どころか歴史上、常に偏見が生じますよね。今回この点山本先生どう考えられますか。

監視か、自由か、分断か、連帯かって言うのは完全に答えがあるとは僕は思っていなくて、場合場合が結構あると思うんですよ。監視っていう点では、もう最先端の監視技術を使って国民をって言うのは、このハラリがいるイスラエルですよ。携帯電話で人間の動きを読んで、それで周りに感染者が居たら、向こうの側からメールで知らせてくれる訳ですよ。くれるというのか、知らされてしまうと言うのか、そこまで徹底した戦いに晒された国のものを我々は見ようとしている、片方では。

価値観も変わるかもなと思いますね。それがすごいどっちに変わるのかと言うのは、僕はある種の心配も持っていて、我々はやっぱり西洋的な自由だとか人権だとか言う価値観、意志の自由を尊重する国家って言う価値観。しかし、感染者を封じ込めると言う点だけについて言えば、それは必ずしも抑えることができないというものを見てしまった場合、強い、最近外交用語で言われる権威主義国家と言われるような国々。割と法よりは、
人の支配、上から落として、人の制限、要するに、統制と服従という、それが割とスムーズに行われる国家が結局勝利を、この後で(病気に至っては我々は勝ったは無いんですけどウイルスは)言い始めた場合に、価値観自体が変わるおそれも恐らくあるでしょうし。

あと、日本がそんな中でとってるのは、私の目に映っているのは、割とマイルドな対応で、いきなりズドンと上から落として、法律とかで強制すると言うよりは、要請と自粛という、立法措置といあよりは、お願いを政府が行い、自粛で応える。で、自粛で応えるんだけれども、割とよその目を気にするので、うちだけは大々的にイベントやってはと、かなり無言の強制力が働く。日本の場合はそれがある。

もう1つは、割と高い衛生観念と民度の高さで、手洗いや衛生観念が強いので、部分的な経済行動の制限でとりあえず、この2ヶ月、3ヶ月は来れてる。だけど、これから行けるかどうか分かりませんよ。全面に都市を封鎖するとか、外食全面禁止とか、もう本当に生産がイタリアのように止まってしまうようなシャットダウンのようなものよりは、大規模イベントの中止と、休みはあんまり集まるところに行きますまいというようなところから始まって。いきなりズドンと、沢山強い規制を加えないと言う形で。これが本当に正解であるかどうかって言うのは歴史の評価だろうと。

一方、分断か、連帯がっていう、一国主義はもちろん成り立たないことは分かるのだけれど、例えば変異したウイルスが急速に広がり始めた場合の初期だとか、これはまあ、移動の分断をその一国中心主義と間違えては行けない問題ですが、あるいは、ワクチンの開発だとか、医療資源の融通って言う点では、もう絶対にこれは世界が連帯しないといけない問題であるという。

この複雑に二者択一どっちが良いではないような現場がありますよね。

信頼度の高い科学的情報の共有がグローバル、世界でなされる、これは極めて歴史の教えるところでもあり、僕はしかし、国を守るっていう点では、21世紀っていうのは、18、19、20と違う局面になったなと思います、これ見てて。19世紀のやっぱり国を守ることって言うのは、一国主義で国民国家がつのを突き合わせて、国旗を振って、お互いの国同士で、近代兵器を使って戦い合っま訳だけど、やっぱりこれ、人類共通の課題が現れる。

大量に国民が死んでしまうということを考えると、やっぱりこれは新しい形の国の守り方は考えないと行けない。今回本当に自衛隊の人頑張って下さって、厚生労働省は感染者を出しているのだけれど、あんだけクルーズ船に入っても、うつらずに帰ってきてるって言うのは、前から色んなBC兵器に対する意識があったからで、やっぱりこれを学ぶべき点はあって。

そうすると、やっぱり戦闘機やら高い兵器と同じくらいの額を使えば、別に戦闘機を非難している訳ではないけれど、最新式のマスクであったり、ECMOであったり国民を防護できるような装備を国家が備えて、税金を払って良かったと思うような国家づくりって言うのは21世紀の半ば以降の、おそらく国家のあり方かもしれない。ここで本当に何が私たちの将来にとって大事だったか、本当にはやいスピードでウイルスが変異して我々に何度も襲い掛かってきてます。繰り返すようになりますけど、コロナウイルスね、この本当に短い期間で3回も、我々は人に来るのが増えちゃった。今後は、はっきり言って人工知能の時代でゲノムを編集すると言うようなこともある場合、ウイルスの変異って言うのが、前だったら国家レベルでないと研究の対象でなかったものが、もっと小さな集団が、ひょっとするとテロだとかなんだとかで起こし得るような世界で我々生きなければ行けない時に、本当にこの問題を1回で夏で暑くなったら終わると言うような問題じゃなく、真剣に深いレベルで文化だとか安全保障だとか、価値観だとか、こう言ったレベルで巣篭もりをしながら考えるべきではないかと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?