大槌町旧役場庁舎跡_日中GOC

更地になった大槌町旧庁舎跡地が今も問い続けること

東日本大震災で、津波が庁舎を飲み込み、当時の町長を含む職員39人が亡くなった岩手県大槌町。その旧庁舎は解体か保存かで揺れた末に、今年の2月解体されました。(詳しい経緯は文末に略歴)
あれから9カ月がたち、更地には町が植えたクローバーが育ち、ベンチや、わき水をいかした水場も設置され、きれいな公園になっていました。
ここがどういう場所であったか分からないほどに。


唯一手がかりになるのが、町外から寄贈された献花台とお地蔵さんだけです。ただ、ここで何があったのかを説明するものはまだ何も設置されていません。町は防災遊地として、災害時に車を乗り捨てられる場所としての活用も見込み緑地化しました。


震災後、個人的な支援で長野県から通っている小林清さん(57)は、大槌に来た時と帰る前に必ずここで手を合わせます。
「きれいな緑の公園になっちゃってる。でも、お地蔵さんがあって、知らない人が見たら『なんでこんなところに』って思っちゃいますよね」と今の景色を見た感想を話してくれました。
町の人から話を聞くと、「(庁舎を)残して欲しいと言ったひとも、解体して欲しいと言った人もみんな正しい。答えはない」という返答が返ってきたそうです。

遺族はこの風景をどういう思いで見ているのでしょうか。

狭い地域社会で賛否が分かれたため、多くの人が素直に想いを話すことが難しい状況ですが、町の職員だった長女・裕香さん(当時26)を亡くした小笠原人志さん(67)が胸の内を明かしてくれました。

※紙面には9月7日夕刊1面(東京本社発行版)に原稿が掲載されましたが、小笠原さんの話のほんのほんの一部しか掲載できず、また朝日新聞デジタルのウェブでも記事が配信されなかったので、このnoteで伝えきれなかった部分を書きます。


解体される前、小笠原さんは月命日にはいつも旧庁舎を訪れていましたが、
解体後は一度も行っていません。「手を合わせるものがなくなってしまった。自分の感情も葬り去られた」思いだからです。

旧庁舎解体直後

解体直後の更地になった旧庁舎跡地(2019年2月18日撮影)


小笠原さんは、隣街の釜石市鵜住居町に住み、大槌町民ではありません。だから、前町長の方針を変え、旧庁舎の解体を公約に当選した今の平野町長が解体を推し進めようとしても「大槌の人が決めること。とやかくいうことではない」と静観していました。

しかし、保存を願う声を上げようと思わせる出来事がありました。

ひとつは4才の孫娘を旧庁舎に連れて行ったとき、「なんでこのおうち壊れているの?」と問われたこと。それまでも、話はしていましたが、現場で被災した建物を見たときに、何が起こったのか「ほんとうに理解しようとしてくれている」と感じたそうです。

2つ目は2018年の3月11日、旧庁舎前で取材された記者との会話。
町民でないからと、気持ちを公に出すことをためらっていると打ち明けると「遺族なんだから、声をあげることは何も問題ないんじゃないですか」と返され、背中を押されたように感じたそうです。

また、路線バスの運転手だった小笠原さんは、それまでも地元の鵜住居で防災センター(避難していた約200人が亡くなったとされる)が解体された影響を目の当たりにしました。
建物があったときは、添えられた花などを見たバスの乗客から「この建物はなんだったのですか?」「何があったのですか?」と質問されることがありました。でも、2013年2月に解体されたあとは、そんな質問をする人はいなくなったそうです。
(跡地には現在、追悼施設「釜石祈りのパーク」ができています)
旧庁舎も無くなれば、同じようになるのではないかと感じたといいます。

保存を求めながらも「せめて申し入れた(裕香さんら町職員が亡くなった状況の)調査が終わるまで解体を待ってほしい」と声を上げ始めました。

声をあげることで冷たい声をかけられることもありました。一方で、公に声を上げられないけれど「本当は応援している」と直接言葉をかけてくる人が何人もいました。

庁舎が解体されたいま小笠原さんは「今となっては庁舎は戻ってこないけれど、津波の高さを示すモニュメントやここで何が起こったのか、職員が亡くなったことを伝える慰霊碑のようなものを最低限、作って欲しい。あの場所に残さないと意味が無い」と訴えています。

遺構が残っている場所と比べてどのような違いがあるのか感じてもらおうと、あえて震災遺構が残る場所と残らなかった旧庁舎跡地を訪問するという現状を逆手に取った動きも出てきているそうです。


町に、なぜ庁舎跡地がどういう場所であったか説明するものがないのか、今後どうする予定なのか聞きました。
町の震災伝承を担当する文化交流センターは「旧庁舎跡地だけでなく、街全体の震災伝承をどうするのかの中で議論している途中なので」と答えましたが、今後の具体的な計画は「まだどうすると言える段階ではない」と説明しました。ただ、「どのようなあり方が良いのか遺族と一緒に考えることも視野に入れていかないといけない」とも考えていると。



今はきれいな公園になった旧庁舎跡地。

建物はなくなってしまったけれど、今もどのように震災を伝えていくのかを問い続けています。


resize20180814T大槌町役場

解体される前の旧庁舎(2018年8月撮影)


※大槌町役場の解体までの主な動き

●2013年3月 碇川豊・前町長が庁舎の一部保存を表明
●2014年4月 正面部分を除いた旧庁舎の7割が解体される
●2015年8月 選挙で解体を公約に掲げた平野公三・現町長が当選
同年12月 大槌高校の生徒たちや町議会が早期判断の回避を求める
●2017年12月 平野町長が「復興が進んだ」として3月議会に解体予算案の提出を表明
●2018年3月 町議会が解体予算案を可決。解体が決まる
●2018年5月 解体工事に着手。その後、法律違反が次々と発覚し、中断
●2018年8月 住民らが盛岡地裁に工事差し止めを求めて提訴
●2019年1月17日 住民訴訟の判決で、盛岡地裁は解体差し止めなどを求めた原告の請求を退ける
●2019年1月19日 旧庁舎の本格的な解体再開
2019年3月 解体工事終了。その後緑地化工事に着手。遺族は「跡地利用を一緒に協議する場を設けるべき」と訴えた


解体の賛成の主な理由

●最初の整備費は国が負担するが、その後の維持管理費は各自治体持ち。子供たちの代の負担になる
●悲惨な出来事を思い出すので毎日目にするのが苦痛。
●新しいきれいな街として復興している途中なのに、まち作りの妨げになる


保存賛成の主な理由

●今もすでに「風化」しているのに、建物がなくなったら本当の津波の恐ろしさを伝えられない
●遺族やこれまで手を合わせに来ていた人が、亡くなった人に思いをはせる貴重な場所がなくなる
●県外から人震災を知ろうと訪ねる人が来なくなる


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朝日新聞のカメラマン。2014年9月から4年8カ月仙台に住み、被災地のいま、東北のいまを取材してきました。 特に原発事故の被害を受けた福島の浜通や、風光明媚な東北の絶景と各地のうまいものが得意分野。
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