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引地と北のあいまいなハタチの記憶 #8

このコンテンツは今年12月19日にデビュー20周年を迎えるRAG FAIRとINSPiの歴史を、メンバー引地洋輔と北剛彦が振り返るものです。RAG FAIR、INSPiの活動で思い出されるキーワードとともにその年の活動を掘り下げていこうと考えてはいるものの、人の記憶はあいまいにつき・・・。
後に他のメンバーやお客様から記憶違いをご指摘いただくことも大いにありそうな、そんなリレー記事。毎月半ばと末に更新予定です。特設サイトのHISTORYも合わせてご覧ください。
今回はINSPi編です。

#8  「旅人の服と旅と」 INSPi(2003年,2004年編)

旅人の服 INSPi 2003年編

デビュー直後の怒涛の日々を乗り越えた2003年。楽曲制作、スタジオワーク、ビジュアル制作、ライブ、そしてまた制作へというアーティストとしてのサイクルが少しずつ板についてきて、「INSPiとは?」をようやく各自考えられるようになってきたのがこのころと言えるでしょう。

INSPiは自分自身のイメージを固めきれないままに芸能生活をスタートさせたように思います。歌ってハモることに関しては常に追求し、暇さえあれば練習!練習!メンバーはもちろん、声さえあれば誰とでもハモれる!それこそがINSPiの進んできた道であり、これからも進むべき道であることは知っていたけれど、それをどう見せていきたいのか、に関しては、実はその当時まだまだ考えが回っていなかったと白状しておきます。

特にビジュアル面は気の遣い方を知らなかった面々。CDジャケットやミュージックビデオの撮影の時に手伝ってくださるメイクさん、スタイリストさんといった職種の人達と関わるたびに、「ほー、そういう世界もあるのか!」と興味津々でした。

話は前年(2002年)に戻りますが、デビューアルバム「inspiritual voices」のブックレットで北が来ているボタンのところに紫のラインが入った青いシャツ。撮影現場で「こんなにきれいなシャツがあるのか!」と感動して、これさえ着ていれば俺は無敵になれるだろうとその場で買い取り、プライベートでもかなり長いこと着たおしました。それこそ2003年を飛び越えて2004年以降も来ていたような気がします。

シングル「ちっぽけなボクにできること」では近所のお兄ちゃんのイメージで、とのことで生まれて初めてのツイストパーマにも手を出しています。当時のマネージャーはドレッドヘアで、施術を担当していたヘアスタイリストさんにお願いして、「派手にしてください」と言ったような気がします。

翼PV撮影時のひとコマ。北と伸二の髪型がすごいことになっています

(↑ 翼PV撮影時のひとコマ。北と伸二の髪型がすごいことになっています)

合宿所では髪を洗って乾かす時間の長さが物議を醸していました。あ、思い出した!確かこのころは、文化放送のリップスパーティ21.jpの生放送終わりでおっくんとタクシーでINSPi合宿所に帰り、おっくんにお風呂を貸す、というルーティーンがあったんです。おっくんはINSPi合宿所の近所に住んでたので。


咲桜、翼とシングルのリリースを追っていくと、INSPiのビジュアルがどんどんアジアンテイストに寄っていきます。まるでドラゴンクエストに出てくる旅人の服みたい。当時住んでいた中央線沿線の中野や高円寺あたりには「むげん堂」というアジアンテイストのお店があり、プライベートでも良く通っていました。龍の刺繍の入ったパンツもめっちゃ履いたなぁ。

咲桜PVの模様。めっちゃ寒かったんです

(↑ 咲桜PVの模様。めっちゃ寒かったんです)

とても印象的だった一言があります。当時ロングラン公演をしていたワタナベエンターテインメントの舞台「Out Of Order」は、横浜ランドマークホールで毎週のように公演があり、事務所所属の芸人さんタレントさんアーティストさん達が入れ代わり立ち代わり舞台に立っていました。

INSPiもアカペラステージでRAG FAIR、チンパラと交代で舞台に立っていました。当時リリースしたての咲桜の衣装で舞台に立ち、公演が無事終わると事務所の専務が声をかけてくれました。

専務はいつもニコニコしてとてもやさしそうなおじいちゃん、というイメージの人なのですが、ニコニコしながらも

「サンダルで舞台に立っちゃだめだよ」

と諭されたのです。「これ衣装なんです!」とは言えずうつむくINSPi。芸能界を作ってきた人たちが、ステージというものをどれだけ大切に思って作ってきたのか、それがよくわかる一言でした。

こちらが噂のサンダルです。スタジオ撮影時の立ち位置マーカーとしての役割も。

(↑こちらが噂のサンダルです。スタジオ撮影時の立ち位置マーカーとしての役割も。)

今では裸足やサンダルでステージに立つことはそこまで咎められる行為ではない世の中ですが、ステージに立つ者の心構えとして今でも心に残っています。

アルバム「VaLiHaLiHa」はそうして培ってきたアジアンテイストINSPiの集大成とも言えるアルバム。昔からあるコーラスグループ=そろいのスーツというイメージを崩しながらも、ハーモニーって良いよね!というメッセージは変えない。なんでも吸収してやろうというINSPiの気概を自分の事ながら今でも感じます。


旅がINSPiを形作っていく INSPi 2004年編

INSPiデビュー後初となる海外公演は2004年のインドネシアでした。J-ASEAN POPSの一員として、宮沢和史さんらとともに訪れたインドネシア。日本のポップソングは現地でも一定の人気を得ていて、特にアニメソングは現地のバンドが日本語を駆使して演奏するほど。「聖闘士星矢!」という叫びを聞いた時、自分が今どこにいるのかわからない変な感覚になりました。

コンサートの準備をする中で、インドネシアの人たちの良い意味での「いい加減」さにびっくりしました。それまで日本で活動してきた中では、だいたいどんな現場でもリハーサルは分刻みであらかじめ計画が立てられ、時間通りのプロジェクト進行は当たり前のことでした。

インドネシアでのコンサートの準備は「できるところからやってみよう」的なゆるさがありました。インドネシア人同士ではもしかしたら違うのかもしれませんが、僕ら日本人を相手にお互い片言の英語で意思疎通をしなければならないとき、本番までの短い時間で完璧に伝え合うことは到底不可能である、というある種のあきらめもあったのかもしれません。

僕らのこうしたい、こう見せたい、という要求にめんどくさそうな顔をしながらも「じゃ、やってみよう」と取り掛かってくれる現地スタッフの皆様。飛び交う「チョバ!チョバ!」の声。

チョバとは英語で言うところの「Try」の意味です。言葉もろくに通じない同士が、コンサートの成功という同じ方向を向いていたことは、本番が終わるまで飛び交い続けたチョバの応酬を見れば明らかでした。

外に飛び出すことで再認識した自分たちの思い、できる事、果たすべき役割。日本に戻り、日々暮らす日常の中に「あぁ素敵だな」と思う瞬間がたくさんあることにあらためて気が付きます。INSPiが感じたことを、待っててくれる皆様に伝えたい!そうしてアルバム「インスピ浪漫」の制作がはじまっていくのでした。

インスピ浪漫レコーディングのひとコマ。地下のスタジオで秘密基地感満載でした。フィンガースナップ録るだけでなんでそんなにカッコつけるのか

(↑ インスピ浪漫レコーディングのひとコマ。地下のスタジオで秘密基地感満載でした。フィンガースナップ録るだけでなんでそんなにカッコつけるのか)

INSPiの制作は、その時のINSPiの状況、感情をそのまま閉じ込める、というスタイルが多いようです。そういう作り方しかできない、とも言いますが。次回以降、洋輔さんには音源製作のはじまりかた、あたりを聞いてみましょう。

翼ジャケット撮影の日。ガラ悪そうですね。でもとっても気に入っています

(↑ 翼ジャケット撮影の日。ガラ悪そうですね。でもとっても気に入っています)

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