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引地と北のあいまいなハタチの記憶 #4

このコンテンツは今年12月19日にデビュー20周年を迎えるRAG FAIRとINSPiの歴史を、メンバー引地洋輔と北剛彦が振り返るものです。RAG FAIR、INSPiの活動で思い出されるキーワードとともにその年の活動を掘り下げていこうと考えてはいるものの、人の記憶はあいまいにつき・・・。
後に他のメンバーやお客様から記憶違いをご指摘いただくことも大いにありそうな、そんなリレー記事。毎月半ばと末に更新予定です。特設サイトのHISTORYも合わせてご覧ください。
(みなさんの記憶による寄せ書きヒストリーは専用フォームから投稿いただけます。)
今回はINSPi 北くんの担当回。

#4  「こえつながりは、こえつなげたかったから」 INSPi(2011年、2005年編)


アホみたいにつなげられると信じてる。今でも(INSPi 2011年編)

INSPiがデビュー10周年を機にスタートさせた「こえつながりプロジェクト」。声だけでさまざまな活動をしてきたINSPiが「みんなも声を使って繋がりを作っていこうよ!」と呼びかけるのはとっても自然で意味のあるメッセージだよね、と始めたプロジェクト。

懐かしの、こえつながりのリストバンド。

(↑懐かしの、こえつながりのリストバンド。)

共通点がひとつあれば、人との距離がグッと近く感じる、そんな喜びを「こえ」でもみんなが体感できるはず。

 地元どこ?え!静岡!?静岡つながり~!そんなフランクな会話のように、「こえ」でもつながっていける。そのお手伝いをINSPiができたなら。そうして始めたプロジェクトは、僕らが主催したライブイベントをはじめ、様々な形で花開いていきました。

こえつながりライブで趣旨説明の前説をする杉田と大倉。

(↑こえつながりライブで趣旨説明の前説をする杉田と大倉。)

当時は日本のSNSのはしりともいえるmixiにおいて、昔の友達とネット上で久しぶりにつながる、といったことが当たり前になっていた頃でした。INSPiもmixiを使いながら、皆さんが全国各地でつないでくださる「こえつながり」報告を嬉しく思っていました。

 正直な話をすると、それまでのINSPiは内向的だったと言えます。グループとして様々なアーティストと次々にコラボを重ねていくというよりは、自分たちの中から生まれてくるものを拾い集め、ライブや音源といった形にしていく、というスタイルが主でした。

 そんな意識が変わるきっかけとなる、とても印象深いシーンがあります。こえつながりライブ日程を決めたその日、ゲストアーティスト候補に自ら出演のお願いをしよう!と、ボニージャックスの西脇さんに電話を掛けました。

 「お久しぶりです、北です。西脇さん今お電話大丈夫でしょうか。」

 ありえないことだと思うでしょうが当時デビュー以来10年、ゲスト交渉の電話を誰かに直接かけたことがありませんでした。

 先ほども言ったように、それまでのINSPi(おもに自分自身ですが)は内向的で、自らが主催してゲストを呼ぶようなイベントライブはほとんどなく、あったとしても失礼があってはいけないだろうと、そういった交渉事はスタッフに任せきりでした。

「なに?どしたの?」

とても優しく用件に導いてくださる大先輩に恐縮しながら事情を説明すると、

「誘ってくれて嬉しいよ!やるやる!」とあっけないほどの快諾。

「ありがとうございます!詳細は改めてお知らせします!」と電話を切ると、それを傍で聴いていたメンバーやスタッフが「おぉ!やった!」と盛り上がっています。その光景は、僕にとってのこえつながりの第一歩と言える瞬間です。

自分たちで「こえつながり」を掲げて「簡単だよ!みんなもやってみようよ!」と投げかけたものの、声をかけるその第一歩には、実は緊張も不安もあることを改めて実感しました。そして、発した声に応えてもらえた時の喜びはこんなにも大きいのだ、とも。

ライブ会場には寄せ書きスペースも

(↑ライブ会場には寄せ書きスペースも。) 

つなげたい!から始まったこのプロジェクトがスタートした矢先、東日本大震災がおきます。その日は北イチオシの日記ユニット「Love Diary」のライブを見に行こうと家を出て駅へ向かう道の途中で揺れを感じ、すぐにニュースを確認。家へと引き返しました。

 当時、すべてのミュージシャンが「今音楽やってる場合か?」という葛藤の中にいたはずです。自分たちにできることは何かないのか。その悩みの中でINSPiが旗を振り進めたレコーディングが、コーラス界のそうそうたるメンバーを集めて実施した「上を向いて歩こう/こえともだち」でした。

 何かしなくてはと焦ったINSPiの先走り。皆様の思いが乗ったこの音源は、諸事情により当時リリースすることはかないませんでした。以来ずっと残り続けた後悔。10年経ってマネージメント業務も板についてきた今ならばできるはず!そう思い各所調整に調整を重ね、2021年リリースとなります。10年越しのINSPiの思いに変わらず応えてくださった皆様に本当に感謝しています。

4月6日のレコーディング時は、ただただ録音進行い必死で記録写真はピンボケだらけ。

(↑4月6日のレコーディング時は、ただただ録音進行い必死で記録写真はピンボケだらけ。)

 今改めて音源を聴くと、声とはこんなにもバラエティ豊かなものなのか!という驚きがあります。その人、そのグループだからこそ出せる声がある。重ねてきた歴史と、その先の未来を目指す心意気。各グループにお任せしたわずか4小節の中に、それらがすべて表現されています。そして総勢50名を超える声がひとつになる圧巻のラララユニゾン。とにかく聴いてみてください。

 この年は語るべきことが多すぎますが、この年のトピックとしてRAG FAIRメンバーとも一緒に出演した「HA・HA・ACTION!!!」の話題をひとつ。

 このライブでは、出演者おのおのが得意なものを出し合い、それをまとめてショーにする、というスタイルで制作していきました。洋輔さんはアレンジはもちろん、台本とかも書いてましたね。

 僕もアレンジをしたのですが、ある演目でラップを入れてみよう!ということになり、慣れないながらもアカペラ×ラップの譜面を作成。そのころのINSPiはクラシックホールコンサートや気になるコンサートも並行して行っていたため、目の回るような忙しさ。

忙しい日々の合間。プロデューサーが同席し、演目の進行状況を共有するためのまじめな会議が行われました。ラップ演目デモ音源の歌入れが間に合わなかった僕は、伴奏に合わせてその場で生ラップを披露することに。

シーンとした会議室に響き渡る、何年代?と問いたくなるような北の古臭いラップ。そして演じ切った後の静寂。ケースケの肩が笑いをこらえて上下していました。笑っていいのに。この会議室の静けさを、僕は一生忘れられない。

マニスとプダスなインドネシア(INSPi 2005年編)


2005年の大きなニュースと言えば、この木なんの木CMがスタートしたことに加え、INSPi初の海外ツアー。2月5日~2月15日にかけて、インドネシアのジャカルタ、マカッサル、ジョグジャカルタでの3公演と各地でのワークショップ。2003年に宮沢和史さんらと「J-ASEAN POPS」でインドネシアに歌いに行きましたが、今回はINSPi単独の公演。日本代表として気を引き締めて向かいました。

 旅に出ると必ず日記を書いているのでそれを読み返してみると、相変わらず食べ物のことがほとんどでした。最初に覚えた単語はマニスとプダス。甘いと辛い。インドネシアはほとんどの人が辛いものが好きで、何でも辛くして食べます。

「上を向いて歩こう/こえともだち」レコーディングにもオンラインで参加し、後に日本で一緒にツアーを回ることになるインドネシアのアカペラグループ「ジャマイカカフェ」と出会ったのもこの時でした。出会って歌って飲んで笑って。11日間の旅の間、彼らと直接触れあえた時間は実質24時間にも満たないぐらい。それでも僕らには、声だけでパフォーマンスするグループという強力な共通点がありました。

 片言のインドネシア語、日本語、英語をぶつけ合い、何はともあれ歌ってみる。離れた場所で過ごしてきた僕らだけど、きっとどこか根っこでつながってるよね。リハーサルで、合間のたわいない会話で、ステージ上で、少しずつそれを確かめ合いました。

インドネシア公演は大盛況!

(↑インドネシア公演は大盛況!)

INSPiのステージではそんな思いを「ココロの根っこ」という曲にのせてインドネシア語&関西弁でお届けしました。曲中、リードの大倉が歌詞を一行歌い終えるたびに

「わかる!わかるよ!その通りだよ!」

と応えるかのように観客の拍手が沸き起こります。こんな体験それまでになかったこと。伝わってる!と感じると同時に、全ての事をもっと伝えたい!と思うようになったのは、この体験があったからです。

旅の間に誕生日を迎えた北に、ジャマイカカフェとINSPiメンバー、スタッフからカードをいただいた。宝物です。

(↑旅の間に誕生日を迎えた北に、ジャマイカカフェとINSPiメンバー、スタッフからカードをいただいた。宝物です。)

 この後、インドネシアのみならずINSPiはいろんな国で公演を実施することになっていきます。その経験は蓄積され、後の朗読&アカペラのステージ「インスピ浪漫劇場」へとつながっていきます。洋輔さんにはそこで使用する楽曲を詰め込んだ「インスピ浪漫2」アルバム制作とステージのストーリーテラーとして出演してもらいましたが、それはまた別のお話。

 RAG FAIRはロシアに行ったことがあると聞いてます。次回以降、ぜひその話をしてもらいましょう。

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