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在宅ワーク時代の、俺的家族関係のコツ(外より中のソーシャルディスタンス)

4月24日(金)晴れ

在宅ワークが日本のみならず世界の風潮だけれども、僕は10年前からずっと在宅ワーク。

昼頃起きてシャワーを浴びて、濡れたままの髪の毛でパーカー着てコンビニに行く。

その途中スーツをビシッと決めたビジネスマンの方とすれ違ったりすると、僕の一般社会との距離(ソーシャルディスタンス)はだいぶ遠いなと思ったりするが、自分的には社会から少し外れているくらいがちょうどいいので問題ない。

しかし在宅ワークに慣れてない人には、急に変わった「ディスタンス」に戸惑う人も多いようで、家庭内で不和が生じてしまっている人もいるとかいないとか。

まあそれでDVとかやってしまう人は論外だとしても、家族全員が毎日家で過ごすと、多少のストレスがあるのかもしれない。


価値は物や人にはなく、「間」にある。というのが僕の持論というか、たまに話すことなんだけど、特に人間関係は、相手との間の距離(ディスタンス)が全てだと思っている。

友人関係や恋愛関係など、あらゆる人間関係には、物理的にも精神的にも適切な距離があり、遠過ぎても、近過ぎてもうまくいかない。

社会生活においてはそんなの当たり前で、仕事相手や初対面の人には、どのくらいの距離で接すればうまく付き合えるかみんな必死に神経を使って考えているのに、そこに友情や愛情のようなファンクションが入ると、とたんに分かり合えるのが当たり前かのように、距離を固定しようとしてしまうところに大きな落とし穴があるように思う。

そもそも「友達」も「夫婦」も、物理的には存在していない。そこにあるのは、互いに快適に感じる間の距離だけだ。なので今回のようにみんな在宅になって関係性に不和が生じてしまったら、必要なのは愛情や努力ではなく、物理的または精神的に距離を調整することだろう。家族であろうがみんな別々な人間である以上、合わない部分や、踏み込んではならない一線は必ずあり、「親しき仲にも礼儀あり」よりも、「親しき仲にも間あり」にしたほうがいい。

生物が生きていける太陽との距離を「ハビタブルゾーン」という。それより近過ぎても、遠過ぎても、生物が生息できる気温にはならない。太陽はどこまでいっても太陽で、何も変わらない。しかし距離次第で、太陽は恵みにもなれば死神にもなる。要するに価値は太陽にあるのではなく、その「間」にあるのだ。

その意味で、僕らにとって万物みな太陽のようなもの。特に家族のような親しい人には、その距離が暑いか寒いか、常に間を調整する必要があるだろう。コロナでみんな在宅な昨今、考えるべきは外よりも中でのソーシャルディスタンスかもしれない。

ちなみに我が家はコロナの前も後も、いたって平和で、そもそも昔からケンカすることもないんだけれど、それはお互いのやってることや考えていることに全く干渉しない(興味がない)という距離感が合っているからだと思う。

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