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年の瀬いかがお過ごしでしょうか

こんにちは、河谷です。

本日は12/26日ということですっかり年の瀬となってしまいました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

私におきましては、講義やレポートや友人の結婚式ダイジェストムービー作りや読書や部屋の掃除や面接などなどやることだらけなはずなのに、1日振り返ると「今日何したっけ」みたいな年の瀬でございます。

先日25日はクリスマスでした。5年ぶりにクリスマスを一人で過ごすことになり、むしろ新鮮さすら覚えました。普段は佐賀にいるのですが、昨日は大分に遊びに行きまして、アミュプラザ大分にあるビジネスレザーファクトリーという革製品のお店で革栞を4枚名入れで購入し、世界で一番お気に入りのカモシカ書店さんにクリスマスプレゼントしたのでした。

そのままカモシカ書店でレポートや動画編集など5時間ほどさせていただき、車で移動してレポートのための本を読みながらもカモシカ書店を楽しむという、一人ながらに充実した1日を過ごしていました。

アミュプラザってショッピングモールなので、ビジレザがあるとはいえクリスマスに行くことになってしまった日程の采配は失敗だったかと思いながら歩いていました。お客さんのほとんどはカップルや友達同士でクリスマスデートをしている中、マーケティング目線でアミュプラザを歩いていたのは私だけでしょう。笑

さて、革製品を扱うビジレザですが、豊富なカラバリと名入れができるというのが特徴です。文字のフォントはローマ字筆記体/漢字/ひらがなが用意されていて、色はシルバーとゴールドの二種類だったかな...?私の場合でしたが30分ほどで文字を入れていただきました。

また商品のカラーバリエーションが非常に多い上に他店ではあまり見られない色も用意されているのでさまざまな属性で括ることができそうだった点などを見ると面白いお店だと思います。ぜひ行かれてみてください。

最近本を読むことが少し怖くなってきた河谷です。

本の内容や本の構成、本の持つ情念とか色とか感覚とかそんなものを感じながら読んでいたのですが、考えすぎて一周回って「そんなものがあるのか?」「追い求めて何になるんだ?」みたいなことになりかけていたので、少し疑心暗鬼になっているところです。泣

以前はそんなんでもよかったのですが、そういった読み方をすると過去と現在までを一生懸命辿っているという訳で、未来を作ることを考えなければいけない私の立場にとっては何だか役に立たないようなそんな気がしてきてしまったのです。

なので哲学や本と対話することから離れて、社会を考えるための手法としての文脈で本を読むことが増えました。それはそれで楽しいのですが、何だか残念というか寂しいというか...無駄なことを一生懸命愛することのできる強さが欲しいですね。笑 実際に無駄かどうかはわかりませんが。

人間、お題があると考えることは簡単だと思います。仕事のプロジェクトとか直面している問題とか、そういったことは事前に材料がありますし、臨機応変さや寛容さを持っておけば考えて実行することって結構簡単だと思うのです。人によっては寛容さみたいな態度を取れないとか、決断できない人とかいるみたいですが、合理的な立場を取れば最善を選ばざるを得ないハズです。

しかし自分と対話するとか自分と向き合うってのは私にとっては上記のこと以上には難しいことです。そもそも対話って何だろうといったところから始まりますし、とっかかりがないような気がしていて。自信がどんなものが好きなんだろうとか、どんな考えをしがちなんだろうとかそういったことから私自身の原型的イメージや感触などいろんなことを考えていれば、どこへ向かうべきかといった問いに直面する訳です。

ましてや善の世界を少しだけ経験した私にとっては、坐禅をしていた時の感覚が私のあるべきところなのかなあとか、むしろ欲の無くなってゆく最近の習性とか、何だか周りを見ていると楽しそうなので「いいなあ」とか思ったりする訳です。その1秒後にはなーんとも思ってなかったりしますが...笑

火曜日に小倉駅を歩いていると、国連難民高等弁務官事務所のスタッフが募金の声かけをされていました。SDGsに関わることが増え、環境や社会に関心を払うことが増えた私にとって駅前で活動されているのを見たら、協力しない選択肢はありません。

こういった募金や慈善活動系の人たちに対して本当にすごいと思うのは、私のように「それがどういったものか知ろう」ということではなく、「一円でもお願いします」と行動できること、全く知らない人に募金をお願いする一声を上げることができるところ、本当にリスペクトです。

小倉駅の前で募金をお願いしていた水嶋さん(字は合ってるだろうか...)は、今年の春に、おばあさんに募金をお願いされてから、感銘を受けて自身も活動したいということでスタッフとして活動されているとのこと。年は私より一つ上で、それまではメーカーに勤めていたらしいので、なかなかの転身です。本当にリスペクト。

日本ではあまり募金やソーシャル系の活動って根付いてなくて、一日300人に声をかけて一人くらいしか実際に納めてくれないそうです。世界から見た日本のそういった部分がどれほどの関心度合いなのかわかりませんが、100円で治療薬が買えたり毛布が届いたりするのであれば、私がコンビニに一回行くのを我慢して自炊してみるだけで、私も世界もハッピー。というグローバルな仲間意識って若い人ほど抵抗がないと思うので、「ノリ」で100円入れてみてはいかがでしょうか。

クリスマスのギフトを買う相手もいない私にとって、少し満足できた体験でした。

こういった体験で得たものを言葉にすると途端に薄く、中身の内容に聞こえてしまいますが、少しでも似たような共感を得る人がいたらまあいいかなとも思う訳です。最近は、意識高い方がかっこいい的な?風潮が出てきたかなと思うので、どんな切り口でも世界の人が幸せになるための100円を出す余裕くらいは人生でもっておきたいと思いますね。

頭が空っぽになること

本を読んだり勉強したりすると、頭がそれでいっぱいになると思います。同時に充実感もあるし疲労感もあるので「頑張った感」満載の状態になります。

これってどうなんだろう って話です。

逆に何か新しいものを生み出すアウトプットの時間には、頭を全く違う使い方をしなければならないことを経験したことがある人もたくさんいると思います。

インプットとアウトプットの軸はどこにあるのでしょうか。

インプットの時、本を読んだり勉強したりして頭に入れること。これって現代でどういった意味を持つのでしょうか。私にとってインプットはあんまり意味がないんじゃないかなあ〜と思うのが7割くらいです。何かについてディスカッションをするとかいう時にはある程度のインプットが必要だと思いますが、それは料理で言えば素材のようなものだと思っています。

一番大切なのは「何を伝えたいか」ということだと思うので、それに対しての参考資料や歴史や文脈を掴むためにするインプットは意味があると思います。つまりは最後の料理のために必要な材料の役割をしているということです。

特になーんにも言いたいことや目的がないのにする資格勉強やインプットはあまり効果がないのでは?と私は思っています。というか「伝えたいこと」「やりたいこと」がないのにインプットするって、何作るか決まってないのに材料を手当たり次第買っているようなものだと思うのです。

ほとんどの情報をスマホやパソコンから得られる私たちの時代に必要なのは「たくさんの人が食べたくなる魅力的なメニュー」だと思います。それってどんなメニューかなって考えるところが一番の味噌な気がしています。何作るか決まってないのに買う材料ってどんな意味があるんでしょうか。冷蔵庫を圧迫したら嫌な顔されるのは想像できるのに、脳みそをすっきりさせてないで満足してるのってどうなんだろう?そう思う訳です。

しかしながら人間的な部分では私はいつでも頑張りたい訳です。「これってどういうことなんだろう」みたいな疑問はたくさんの事象から当たることができます。本質とか新しいアイデアを生むためには、私は情報を仕入れて道具を作らないとできないタイプです。天才タイプってどんな感じなんでしょうか。

そのために情報を仕入れて頭を使うと、街の見え方とか人の見方とかも変わってきて非常に面白いです。それを話し合う人がいれば尚楽しいと思うんですが、未だ出会えておりません。

ということで本を読むことでいらないベクトルへ私が向かわないか非常にネックに感じているのはその辺なのです。実際の道具となりうるか、知識が何になりうるか、どう変換されるべきか、その辺が私の課題です。実際に知恵に変換できる環境に私自信が身を置くことが大事だと、思っていながらそれはどんな環境か。山籠りはハードル高いですし、なんだかんだ普段の生活をしているので変化が必要なのか、それとも私が態度を変えることが必要か、はたまた山籠りをするべきか。はっきりしません。

「それを未来にどう生かすか」情報をその問いのもとに晒すことが考えのレベルでの私の課題なのかもしれません。世の中どうなってるんだか。その辺は参考になる人を一人くらい知りたいものです。答えはないと思いますが...

そんなこんなで、一年も終わりに向かいながらやることが満載の河谷は今日も明日ものんびり頑張りたいと思います。

それでは。

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