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ショートショート「青い南京錠」

私は、電化製品会社に勤めている。
加湿器の新商品開発プロジェクトのリーダーを任されているものの、なかなか上手く進まない。
チームの団結もイマイチ、新商品のアイデアも良い案が出ないために、他社との連携もとれない。

今日も会議は膠着状態。何も進まないまま一日が終わり、暗い夜道を1人でとぼとぼと帰っていた。

下を向いて歩いていると、何かにぶつかった。

「あっ、すみません。」

「…いえいえ、ご心配なく。 ところでお嬢さん…何か悩みでも抱えておられますかな?」

顔を上げると、そこには黒いスーツに身を包み、シルクハットを深々と被った白ひげの老人が立っていた。手には不思議な造形のステッキを携えている。

「はい…会社のプロジェクトが上手くいかなくて。」

「ふむ、なるほど… 私の姿が見えるのは、悩みに悩み抜き、不安定になり揺らいだ精神が平行世界と重なった者だけです。まあつまり…あなたは相当お辛い状況にございますね」

理解が追いつかないが、このお爺さんは私が辛い状況下にあることを知っているという事だけはわかる。
すると、お爺さんは青い南京錠と鍵を差し出してきた。

「この南京錠はあなたのリミッターであり、こちらはそれを解除するための鍵です。」

「…というと?」

「人というものは、能力を持ってはいるがそこには制限が掛かっています。全力を出すと、身体が壊れてしまいますからね。しかしこの南京錠を開くと、あなたは最大限の力を発揮することが出来るようになります」

「本当ですか!? 是非開けたい!!」

「落ち着きなさい。世の中には得るものと引き換えに、差し出さなければならない代償というものがある。それを知っておくことだ。」

「どういうことですか?」

「良いか、よく聞きなさい… この南京錠を開けると、今後どこかのタイミングで突然そなたの使っている水が沸騰する、ということが起こるのだ。だが、それがいつ訪れるのかは誰にもわからない。例えば…」

「例えば、手を洗っていたら熱湯になったり、水筒を飲もうとしたら突然煮立ったりするってことですか?」私は待ちきれずこう聞き返した。

「まあ、そういうことが起きるということだ。それでもこの南京錠を開けたいかね?」

私は一寸考えたが、それくらいならば火傷に気をつければ良いし、万一火傷してしまっても適切に治療すれば問題ないと思った。むしろこの逆境を乗り越えられる事に大きな希望を抱いていた。

「ぜひ、使わせてください」

「わかった。では、この南京錠と鍵をそなたに預けよう」

その夜、私は寝る前に試しに青い南京錠を開けてみることにした。さて、何が起こるか… 期待と不安に心を震わせながら鍵を穴に差し込み、ゆっくりと回す。

カチャ。

優しい音を立てて鍵が開く。瞬間、五感が冴え渡る様子が手に取るようにわかった。風呂場から聞こえる水滴の音、壁にかかったアイドルのポスターの色、部屋に漂うアロマの香り。全てが彩やかに、そして艶やかに感じられ、交感神経の高まりを感じた。
さらにありがたいことに、新商品のアイデアがまるで沸騰するかのように次々と湧き上がってきた。止まらない想像力に身を預け、紙にペンを走らせる。ある程度アイデアがまとまってきた頃、気づけば空は明るくなっていた。南京錠のお陰か、眠気は全くもって無かった。

それからというものの、プロジェクトはトントン拍子に進んだ。徹夜で書き上げたアイデアはチームのメンバーにも賞賛され、プレゼンも上手く出来たためそのアイデアは上層部にも認められた。
唯一大変だったのは、南京錠の副作用だった。週に一度か二度、「アイツ」がやってくる。突然の沸騰だ。便器の水や消臭剤が煮立っていたときは笑ってしまったが、飲み水や台拭きが熱かったときは敏感になった感覚を恨めしく思ったし、洗濯機が壊れてしまった時は酷く落ち込んだ。雨降りの日は毎度恐怖した。家に傘を忘れて会社に一晩泊まったこともある。だが、やはり南京錠の効果は絶大なもので、多少のリスクはどうとでもなった。むしろ長いトンネルから抜け出した喜びの方が大きかった。

あれから半年が経った。ついに新商品発表の時が来た。大手のメーカーさんに協賛してもらい、試作品が完成したのだ。プロジェクトリーダーとして、発表会のプレゼンターも任された。
これも青い南京錠のお陰だった。休息のために夜は鍵を閉めていたが、日中は基本的に開けておいたため以前とは比べ物にならないくらい溌剌と動くことが出来た。あの時この南京錠をもらっていなかったら、ここまで来ることは出来なかっただろう。突然沸騰する水にもだいぶ慣れた。あとは、発表会の最中に加湿器が沸騰しないことを祈るばかりだ。

ステージの上、私と新商品にスポットライトが当たる。観客席に集まるは、沢山のメディア関係者。フラッシュを炊かれ、ひっきりなしに写真を撮られている。チームのメンバーが作ってくれたスライドを画面に映し出し、加湿器の新機能や使い方を説明する。
その後、実際に新商品を動かしてみることになった。

「頼む、動いてくれ…!」

心の中で強く念じ、電源ボタンを押す。この時間は永遠のように長く感じられた。程なくして、「ピッ」の音と共に加湿器が動き出した。成功だ。シャッター音が一層増える。やりきったのだ。私はこのプロジェクトを成功させた。あとは、最後の点検をして実際に販売する段階へ移るのみだ。これもあの南京錠のお陰。自然と涙が溢れてきた。

控え室に戻り、チームのメンバーと抱き合う。
「やりましたね!」
「カッコよかったですよ、リーダー!」
「あとは商品化ですね!やった!!」
達成感に包まれた私は、嬉しさとこれからの希望に涙が止まらなかった。

しかし、私は愚かであった。

「あれ、身体が火照って…?」

重大なことを見落としていた。

「?! 痛い!」

全身に激痛が走る。

私は、全く気づいていなかった。

人間の60%は水でできている、ということに。

私の体は、「使っている水」で満ち溢れているということに。