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お気に入りのFMを聴きながら、ライフログ、存在と時間を読んで、noteを書いて

仕事から帰宅後、いつの間にか寝てしまい起きたのが23時過ぎ。いやー寝すぎじゃないか。たぶん夕食後、部屋でゴロンとなったのが21時ごろ。そこから寝てしまったのか意識がない。帰りの電車のなかで個人のメールをチェックしたら東京の友だちから「今日から半沢直樹がはじまるけど観るの?」と言われて、あー知らなかった、観てみるわと答えたのに完全に見逃したー。チェッ!

寝落ちする前にFM COCOLOから流れてきたMISIAのこの曲を聴いて少し涙した・・・

半沢直樹、今回もおもしろそうじゃんかー。じゃなくて前回の顔ぶれ見たら前回の半沢直樹も、もう一度観たくなったぞー!!ちょっと今日の見逃しは痛い ^ ^ ;;

しかし、いくら仕事終わりといえども2時間も寝てしまうというのはどういうことか。仕事疲れで寝てしまったとしたら、この睡眠は仕事に取られた2時間ではないのか?!違うか?!チェッ!

<< 存在への問いの形式的構造 >>
存在の意味への問いが設定されるべき。
この問いが基礎的な問い、とするならば
適切な見通しを必要とする。
とすれば、そもそも問いというものには何が属しているのか、
このことが簡単に論究されなければならない。
そうすればそこから、この存在問題がひとつの際立った問いとして
看取できるものになってくるであろう。

ハイデガーの「存在と時間Ⅱ」からの抜粋である。そもそも今回のうたた寝したことについて私は自分の時間の使い方、また自分のこれからについていろいろ考えることがあり、その問いについて考えてみたいと思い、ハイデガーを本棚から取り出した。そして思ったのは自分が起きてから寝るまで、どんな時間の使い方をしているか。・・・まーそんなこと言ったって無駄な時間なく過ごしているだろう。通勤の電車では昨日の仕事の勤怠報告を行い、また自分個人のメールチェックを行い、うたた寝。うたた寝はこれから取り掛かる仕事に対してエネルギー温存である。・・・いやまてよ、その通勤電車に乗るまでの時間はどうか。顔洗って、朝ご飯食べて、身支度整えて、電車の時間を調べて・・・その日常のタスクで並行して行えないものはないか?!

この問いに対して私はnoteを書くこと、noteのネタ、noteの下書きを思いつく。が、いつも忘れてしまう。というか仕事の報告、勤怠での報告などに気を取られる、時間を取られる。さらにはアクシデントに対するアクション、電話、メールなど。昨日はその電話対応で1時間20分、時間を取られた。さらにメール。メールはどれほどの時間を取られたか、測っていないが数分というところだろう。

こうなってくるとさらに細かく「ライフログ」を取ってみるのも手だ。

朝、起きてから歯磨き、朝食、着替え、自転車で移動・・・

私の生活行動とその行動と並行処理の結果が今の私の収入、と

言えるかもしれない。

明日に続く・・・今、FM COCOLOTOから流れてきた音楽はコレ



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