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地域の活動で大切にしていること

皆さんこんにちは。よーそろの井上明です。

私は瀬戸内海に浮かぶ大崎下島の御手洗地区へ来てもうじき10年になります。出身は広島県広島市安佐北区。元々御手洗には縁もゆかりもなく、まさか江戸時代の古民家をカフェをするなんて思ってもみませんでしたし、ゲストハウスやレストランやシェアハウスなどももってのほかで。

一方で、見知らぬ地域でなんか上手くやっとるねとか、バランス取りながらやっとるねとかお褒めの言葉?と捉えていいのでしょうか、そのように言われることも多々あります。

地域活動の中で大切にしていること

縁もゆかりもないこの御手洗という場所で私が商いをしながらどのようにやってきたか、地域活動する上で大切にしてきたことをお話します。

それは、地域とそこに住む人の風習、考え方を優先することです。

サーフィンなどのローカルスポーツと同じ。地元優先型。

当たり前のことなのですが、なかなかできません。なぜならばその土地の風習や、文化、その人の周りの過去など知らないからです。そして自分の意見を通そうと自分のスピードで、価値観で、突き進んでしまいがちです。かく言う私も何度も何度もやらかし謝りにいきました(笑)その土地の文化やリーダーの性格もありますが私の場合、何に気を付けて今までやってきたのかポイントを書いていきたいと思います。

私が常に意識している3つのポイント

常に意識しているポイントは3つ。

➀ちゃんと筋を通す。
➁正論を通さず寄り添い合わせる。
➂間違ったらすぐ謝りに行く。

➀について。ついつい話を通すべき人に話忘れたり、話す順番を間違えたりで機嫌を損ねてしまう。「わしゃ聞いとらん。協力せん!」となることはどこの地域でもよくあることと思います。それだけならまだしも一度のミスが長く尾を引き、あいつの言うことは全部反対するなんてことに。そんなこと…と思われるかもしれませんが、なによりもこれが1番大事です。や、これがすべてかもしれません。筋道を立て、必ず通すべき人に話を通す。しかも順番を間違えずに。

手当たり次第に言いまくればどこかから何か話がくるだろうといろんな人に同じお願いをしてしまうのもアウトです。「この人にお願いしたんですが」と筋道を立てればいいのですが、それをせずスピードが遅いからといってあちこちで進めすぎると信用を無くします。またはじめに話した人と、次に話をした人の仲が悪ければ完全に非協力者を増やすことになってしまいます。

私もうっかりやってしまったこと多々あります。まち全体でイベントをするときなど、団体の長、使う場所の長それぞれ違う場合があります。伝えとくわと言ってくれたことで任せすぎて実は話が通っておらず、「どういうことだ!とあの人が怒っているよ。」なんてこともありました。

➁について。地域の文化や関係性を無視して正論を通すのもダメです。地域の事情云々考えなければ、たいてい正しく、そうあるべきことが多いでしょう。しかし、人は感情の生き物であり、狭い地域でやっていること。こちらが真っ直ぐな正論を通す前に、地域の事情をよくよく聴いてダメな理由の本質を探ることが大切です。恐らく、答えはもっと手前にあり、あ、そんなことなのかと気づかされることが多いと思います。

あるとき、大学生から依頼を受けてお花見コンサートをすることになりました。私は窓口をしていたのですが、地域の皆さんとその場を楽しみたいということで自治会に話を持っていき声がけをしてもらいました。大変盛り上がり、観客である住民の方も一緒に歌ってくれて素敵なひとときを過ごしました。引率の先生方もいらっしゃる中、打ち上げをし来年もやりたいと余韻に浸りました。

がしかし、次の日「会長が昨日のような学生が来るコンサートはしないと言っとる。」と連絡がありました。住民のある人はお店にわざわざやってきて「井上さん、昨日はとってもよかったわ!御手洗で桜の下であんなコンサートしてくれるなんて。嬉しくて子供に電話したわ」と喜びの声も聴いていたのに。。

会長に連絡し、何か不手際があったことあればお詫びしたいので話をしたいとアポを取り1対1で話をしました。どういうことだったのかと。

会長「コンサートのあと打ち上げをしたじゃろ?学生がおったのに酒を飲んだんじゃないか?20歳にならん学生がおったら大変なことになる。そんなことするんならコンサートはできん」

なんと!?引率の先生がいたことを説明し、未成年飲酒は大学も当然認めないのでそれは大丈夫だと説明するも、歳をごまかして場の雰囲気で飲んでしまいもし後でわかって何かあってからでは困ると難しい表情を浮かべていました。

「あと打ち上げというのがいかん。反省会ならいい。」

私「なるほど確かに。ではこうしましょう。もし来年コンサートをするならば、それは良しとして、打ち上げは無し。やるとすれば反省会。そして20歳未満の学生が一人でもいればお酒は無しにしましょう。それだとどうですか?」

会長「それならいい」

今年もやりましょうと学生から連絡があり、そのお花見コンサートは今年で8回目を迎えます。丁寧に何が問題なのかを聴き、提案することが地域にも自分にも関わる人にもいいことになります。

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➂について。➀➁での失敗、やらかしてしまったときは、わだかまりができる前に速攻で謝りに行くべしです。伝えていなかった、間違った誤解を与えてしまった、意図するところをくみ取れなかった、それは怒らせてしまった自分が悪いと誠意をもって伝えることが大事です。それを怠り時間が経つとそれ以上のイメージを膨らませてしまい修復に余計時間がかかることになります。ちゃんと自分のこの部分が間違っていたと伝えればわからない人はいないと思います。

私も幾度かやらかしました。その都度謝りに行きました。「あなたに一番に話をしなければいけなかったのに、このような意味ではなく変に伝わってしまいました。大変失礼なことをしました。」と。

私は営業マンをしていたサラリーマンの新人時代に出入り禁止を2度くらいました。新人で知識もなく、独特な南九州の方言の中でミスをし、もう二度と来るなと扉をバタンと閉められました。ミスをした私が悪いのは事実。電話をしても一切出てくれず、私はそれでも謝るために毎日通いました。居なければ名刺を置いて帰る毎日。2週間通ったでしょうか。突然ある日、「事務所に来い、発注したい」と。それから仕事がある度にすべて私に注文してくれるようになり辞めるまでとても良くしてくれました。もう一つの出入り禁止も通い詰め作戦で出入り禁止を解き、そこから深い関係を築くことができました。

そんな経験もあり、来るなと言われると行きたくなる私だからでしょうか(笑)けっして打たれ強いわけではないのですが、少々ではめげません(笑)思ったことをやり切る力とそこに合わせることができる価値観の柔軟性は地域活動においても、ビジネスにおいてもとても大切なことだと思います。もっといえばそのような時こそ関係性を深めるチャンスなのですが、そこで終わる人は多いかもしれません。あまりにも理不尽で価値観がどうして合わなければ当然そこまでする必要もありませんが。

御手洗がもつ”町の文化”とよそ者感覚

御手洗は江戸時代にできた町で沢山の商売人や移住者を受け入れてきた土地です。町割りが行われ町年寄が置かれた御手洗町でした。そして東京ドームよりも一回り大きい広さの町で(福岡ドームと同じくらいの面積)昭和10年の全国市町村別面積調では全国で6番目に小さな面積の町。

「御手洗に行くときはちゃんとしか格好していきんさい」と隣町ではいわれうような街だったと聞きます。どこ行くのか誰と行くのかあまり詮索もせず、あっさりしているところもあれば80歳を超える人同士でも○○ちゃん、○○くんと下の名前で呼び合う距離感が私にとってはとても新鮮であり居心地がよい場所でした。

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そのような場所なので排他的なところはあまりなく、教えてくれる人もいきり立つこともなく優しく接してくれます。だから私はこの町でとことんやろうともがき続けるのだと思います。

また、私は完全によそ者なので、自分の価値観を押し付け押し通そうとすることはあまりないのでいいのかもしれません。これが地元の人だと自分はここで生まれた人間だからこうすべきだと熱くなり過ぎてしまうことも。こうなると動いてもらいたい相手や地域は余計に考えを曲げれなくなります。そもそもそのような時点で周りが見えてくなっているでしょうけども。

とはいえ、あいつはああだのこうだの色々な吹込みにと脅しにあったこともあります。「調子に乗るなよ。痛い目に合わせるぞ」と。その人の気持ちをくみせず私が意見を言ってしまったことに起因することであり、それについて謝罪しました。

ただ、どうしても価値観が合わない。そういう人もいます。そんなときは近くに寄らない、離れる。そのようにしています。無駄な競いは私の最も嫌いなこと。それはどこにでもあるごくごく一部の出来事であり、もしその割合が地域に多い場合、私はそこには居ませんが。

御手洗はそのような意味で他の地方の参考にはならないかもしれませんが人を受け入れる地域というのはこれからも発展していくように思います。

地方活動は面倒?それとも?

と地域では色々ごちゃごちゃやっています(笑)

どうですか?面倒くさいでしょうか?

確かにそのようなときもあります。それが普通です。人はそれぞれ違うから簡単に一緒になったりまとまったりすることは難しいです。もっと連携すべき、繋がった方が良いと言われることもありますが、そうではなく、どの部分を連携し、どの部分を独自にいくかをしっかり探り、見極め、まずは点同士(ポイント)のみを繋いでいくことを考えるべきだと思います。

それができる地域はなかなかないかもしれません。しかし裏を返せば、それさえできれば他よりも抜きん出ることができます。それをどう考えるか?

御手洗は25年間住民が主体となってまちづくり組織を運営し磨いてきました。私はその中にいる一人に過ぎませんが、年月をかけて様々な活動を行い、困難を乗り越えてきました。だからこそとても可能性を感じています。


私はこれからもずっとよそ者として御手洗の町をリスペクトし、地域の人達と仲間達と共にアクションを起こしていこうと思っています。

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