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今までのレコーディングを振り返る vol18 熊谷泰昌 J-Straight Ahead (2015)

今までのレコーディングを振り返る vol18 熊谷泰昌 J-Straight Ahead (2015)

新しい才能に出会うことはミュージシャンの人生としても最高に面白い事の一つです。特にベーシストという立場は合奏を基本として成り立つもの。少なくとも誰かと共演する事で色々な力を発揮できるとも言えます。

熊谷泰昌くんがバークリー音楽院を卒業してからニューヨークに移り住んでしばらくしてから、セッションで出会ったように思います。ニューヨークのセッションでは楽器ごとに人の入れ替わりが激しく、一緒に演奏したかどうかも定かではないというぐらいの触れ合いでした。

その後、僕も日本に帰国して活動拠点を日本に変えて、熊谷君もその頃帰国していたと思います。最初に再会したのは大坂昌彦さんのセッションだったと思います。一見、水戸のヤンキー(熊谷君は水戸出身)がそのままピアノを弾いている姿は微笑ましくもありましたが、出てくるサウンドはアメリカで時間を過ごした人にしか出せないサウンドというのが第一印象。

その頃はまだ、この日本のジャズ業界でのキャリアが短いこともあってか、日本的な融通はあまり効かなかったように思いますが、そういう所も実直な感じがして好印象でした。

さて、演奏においてアメリカと日本の差というのはどこにあるのでしょう。

あくまで僕が感じることですが、アメリカで13年間、様々な人たちと共演して一番強く感じたことは、リズムの捉え方だと思います。かと言って科学的な検証がされたわけでもなく、沢山の人達とそのことについて検証したわけでもありません。なので僕が体験して感じた個人的感想と言っても良いかと思います。

話す言語が違うことによって音楽にどう影響があるのかはわかりませんが、それに近いようなニュアンス。

けれど、それぞれの国に独自の言語と音楽があり、それは歌というもので密接に結びついております。

なので歌の無い楽器だけのジャズの演奏もそれぞれの国で当然違ってくるわけで、むしろその違いを生かしてユニークな演奏にしている人も多く見受けられます。

では、私たち日本人はどうか。

日本語はジャズには適さない、もしくは洋楽的リズムには乗り辛いという意見も聞かれます。

確かに日本のポップスは洋楽的旋律を多く使用しながら、その端々に日本語に合わせた独特の処理がなされています。それゆえに日本のポップスも独自の発展を遂げ成熟し始めているように思います。

さて、話をジャズに戻しますと、各楽器のレベル、特に技術や論理的なアプローチにおいては最高レベルに達しているように思います。

何が違うかといいますと、合奏した時の各自のポジション取りが違うように感じます。ソリストは特に目立ちやすい部分でもあるのですが、全体的にはスピード感がありながら、とても重心が低く、結果として大変、太く重い、ゆったりとした表現となっています。

これはテンポに対して遅くノるレイドバックとも違うもので、各音の重みが違うとしか表現しようがありません。

また、楽器の響かせ方も違い、喋り声と同じように豊かに伸びやかに響かせる傾向にあります。それが奥ゆかしく無い、とも取れるところで、この辺りに日本独自の表現の可能性はまだまだ残されているようにも思います。

また、無理矢理に盛り上げることをする事はご法度だったように思います。
あくまでも自然に盛り上がってくるのを待つ。盛り上がらなくてもいいでは無いか、という覚悟で演奏しているようにも感じました。

なので、アメリカのジャズのライブを色々と見ていると、まるでスポーツの試合のように、盛り上がる日もあれば、そうでない淡々とした日もあります。それは同じバンドが同じ場所で演奏しても、毎日違った演奏になっています。

これは決してアメリカのミュージシャンが優れているという事ではなく、ジャズというものがアメリカで生まれて、どういう風なルーツを元に、どんなモチベーションと思想で演奏をしてきたかを知る良い機会となりました。

アメリカという国が持っている個人の尊重、そして自由というものが勝ち取られたものであるがゆえの大切にする人々のエネルギーというものと深くつながっていると思います。

さて、熊谷君の話に戻りましょう。

よく演奏するようになったのは日本での初共演からしてしばらく経ってから。
彼のトリオに参加させてくれる機会が増えた事で、そのリズムの重さと、盛り上がるまで待つことのできる感性に、アメリカというものを感じました。
そして彼が書くオリジナルが、僕がニューヨークにいた頃の後半にたいという指摘たアーティストを色濃く反映していて、やはり同時代に同じ空気を吸っていた事にとても共感しました。変拍子なども多いのですが、とても自然にグルーブするあたりに時代の変化を感じます。

その後、僕の主催するセッションやグループにも参加してもらうようになり、大いに音楽的にもキャラクターとしても貢献してもらいました。

そんな折に彼のCDに参加する話をいただきました。
ドラマーも僕と同じような日米間の違いを感じていると信じれる大坂昌彦くん。
これは最初からいいものができると確信していました。
レコーディングもライブでこなしてきた曲が多く、とてもスムースに進みました。
その後、同じ国立音楽大学のジャズ専修コースで同じ教員として働くようになり、彼の曲を生徒たちが演奏するなど、とても人気の講師となっています。

クマちゃん(僕らはこう彼をこう呼んでいます)の魅力がたくさん詰まったアルバム。機会あれば是非聞いてみてくださいね。


熊谷泰昌
1979年生まれ。茨城県水戸市出身。3歳よりピアノを始める。13歳位からジャズに興味を持ち始め独学でジャズピアノを始める。 15歳の頃浅田光子氏に師事。1998年高校卒業後渡米。Berklee College of Music に入学。2000年に卒業。卒業後すぐニューヨークに移る。Robert Glasper にレッスンを受ける。2003年帰国。帰国後は東京を拠点にライブ活動。2006年、横浜ジャズプロムナードのコンペにてベストプレーヤー賞受賞。高須クリニックのCM曲ではアレンジ、演奏を担当。Benesseのこどもちゃれんじの音楽を担当。2017年より国立音楽大学非常勤講師を務める。

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