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今までの参加レコーディングを振り返る Vol.8 大西順子 楽興の時 2009

今までの参加レコーディングを振り返る (年代など順不同です)
Vol.8 大西順子 楽興の時 2009

さて、前回に続き、今の自分の活動の中心となっている人物のアルバムです。

泣く子も黙る?鬼気迫る、などの形容詞がよく使われる大西順子さんですが、僕はこのアルバムが初の参加作です。そのころは引退、という宣言はしていませんでしたが活動から退いていて、ようやく復帰を目指し始めたところでした。

様々な噂が飛び交う彼女ですが、僕の目から見た限りでは、いたって自然体、どちらかというと愉快な人物。面白いものが大好きで、いつも楽しい話をしてます。もちろん音楽の話のときは真剣そのものですが、音楽を愛する心に溢れた会話には心を打たれます。

決して理不尽な事は言わないのですが、おそらく言葉を選んだりせず、正直過ぎるところが誤解を招く、そんなタイプかも知れません。まあ、人間同士、色々な意見や行動もあるでしょうから、インパクトのある人ほど、反発もあるのでしょう。

ちょうど僕がニューヨークに移り住んだ1991年あたりに日本で話題になり始めた大西順子さん。少しだけ在米期間が被っているようですが、その頃はチラッと顔を合わすぐらい。その後のスターへの道は皆さんの知るところです。センセーショナルなデビューからの話題性は説明するまでもありません。僕はニューヨークで、半年ぐらい遅れた情報をたまに見聞きするくらいでしたが、メディアに媚を売らずに、あんなに自分の音楽と演奏を貫き通して、あそこまでメジャーになれると言うのは、やはり実力が無いと出来ない事のように思います。

さてその後、度々ニューヨークでライブをやっていた彼女ですが、僕もその度に顔を出して、見に行くようにしていました。ライブ盤にもなったバンガードの時もいました。ジャパンソサエティーの主催のコンサートの時は打ち上げにも呼んでもらって話をしたのを覚えています。その頃は僕もようやくニューヨークでジャズシーンに溶け込んでいった頃で、その中で生き抜く大変さを共有できる仲間として共鳴した気がします。

またスイートベイジルで日本からドラムの原大力さんとベースの荒巻君のトリオで演奏した時も見に行きました。僕が見たセットではちょうど、原さんがシンバルについているシズル(シャーンと響きを長くするためにシンバルに穴を開けて、そこにリベットと呼ばれる金属の棒のようなものを打ち込んで両側を打って平にして共鳴させるもの。)で手を切ってしまい、出血しながらの演奏でした。徐々にひどくなっていく出血。スネアドラムが地に染まり、叩くたびに血が飛び散る。出血した手をタオルで巻くがそのタオルもだんだん真っ赤に。と、演奏を聴くどころではなくなってしまったので短めにセットが終了した気がします。

さらにときは流れて、僕は日本に帰国。辛島文雄さんのトリオも退団しようかと言う時に、しばらく活動を休止していた大西順子さんからお声がかかりました。休止中は体調も崩していたようで、ピアノを弾くにもリハビリしながらと言うのが実情でした。ライブも少しずつペースを保って行いながらの活動からスタート。その時は、とにかく演奏する機会が必要だったようです。

話は端折りますが、僕がちょうどドラムのジーン・ジャクソンさんと知り合いになり、順子さんはバークリーの同期だったようで、そのトリオで活動を開始。さらにアルバムの録音の話も持ち上がって出来たのが「楽興の時」です。レコーディングに向けての調子の上げ方は凄まじかったのを覚えています。そして以前にも増して、音の重みと豊かさ、空間の美しさが印象的です。もちろん凄まじいピアノとベースのユニゾンもあり、弾けるようになるのにものすごく練習した記憶があります。

その後のことについてはまた今度別のアルバムの時に譲りますが、一つのアルバムには様々な人間ドラマが含まれているなあ、と言うことを思い出させてくれるアルバムです。

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