37歳の手前で
たまねぎ、キャベツ、さつまいも、えのき茸、ごぼう、にんにくをカットして沸騰したお湯に入れる。火がある程度通ったら、フタをして、そのままシャワーを浴びる。味噌を入れて、皿にどすんと盛る。最後に、ブロッコリースーパースプラウトをかけたら、味噌汁とも言えないようなサイズの味噌汁の完成である。2合のご飯をよそい、岩塩をふりかけ、『狼と香辛料』を観ながら食べる。
ちなみに、普段は夜にご飯は3合を食べる。といっても、1日に白米を食べるのは夜だけだから、1日全体の量としては大したことはない。一度に一気に食べるだけである。
夕食を終え、皿洗いをして、歯磨きを終え、「掃除機のフィルター掃除」という昨日のリマインダーを無視していたことを思い出し、フィルターを掃除して、いまこうして書いている。
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「もし、エッセイ本を出すとしたらどんな内容にしたい?」
そんなことを一昨日、考えだしていた。きっかけは、『あしたから出版社』という本、そして『夏葉社日記』である。といっても、後者の本はまだ手に入れていない。早く読みたい。
『あしたから出版社』は、ひとり出版社である夏葉社を立ち上げた島田潤一郎さんによる本。立ち上げの経緯から、設立後の本の制作の話まで書かれている。『夏葉社日記』は、秋峰善(Shu Pongseon)という方が夏葉社でのアルバイトの日々を綴った本らしい。
『夏葉社日記』は、noteで投稿していた内容を元に編集をして本にしたものらしかった。ひとり出版社である夏葉社で働き、その日々をnoteに綴り、秋峰善さん自身も出版社を立ち上げたようだった。noteのアイコンがレヴィ=ストロースの『野生の思考』というのも、ちょっとよかった。読みたいが、読めていない本である。
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あと1ヶ月ほどで37歳になろうとしている。今まで、あれやこれやと色々とやってきた。ブログを書いたり、家庭菜園の会社の立ち上げに関わったり、Youtuberとして動画を制作したり、音づくりをしてみたり、会社員としてYoutubeチャンネルを運営したりと、自分と社会の接点を探ってきた。こうして書いたものの間には、数ヶ月単位で飽きたか終わってしまったものも無数にある。
そうやって過ごしてきた日々を振り返り、いまの自分も見つめてみると、残ったものは、本、書く、散歩の3つくらいのようだった。そのときそのときの好奇心で手を出すものもあるし、現状、収入のためにやっていることは他にあったりするが、誰にもなにも強制されずに「やらないと」という感情も抜きにして自然体でやってしまうもの、それが本を買うことと読むこと、書くこと、散歩することのようだった。
『あしたから出版社』を読んで、夏葉社に関連する本をぜんぶ欲しい、読みたいと思ってしまったほどであった。本を通して社会に貢献しようと奮闘する姿というよりも、前向きでも後ろ向きでもない、しかし本への愛と感謝の気持ちが染み込んでいた。こんなにも本を愛している人がいるのか、と思った。にじみ出たその愛を、読みながら受け取ってしまった。
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もし自分が書いた文章が本になったら、これほどワクワクする妄想はない。本に「なる」かもしれないし、自分が本に「する」かもしれない。いずれにせよ、本にする前提で文章を書いてみるのは楽しそうじゃないか。それで、マガジン『へいおんと微熱』をはじめることにした。
「へいおん」には、平温と平穏という2つの言葉を重ねている。ここ数年、毎日決まったことをすることでのルーティンの心地よさを感じている。日々平温でいることで、こころの平穏が生まれる。多くを求めず、自分なりのちょうどいい暮らしを見つめる日々。
とはいっても、楽しい、ワクワクする、そんな感情も大事にしたい。今まで何度もやりたいことが見つかり、燃え上がり、燃え尽きるということをやってきた。しかし、40歳が近づいてくるなかで、そろそろこのやり方はうまくいかない感じがしてきた。退職してから半年間、次にやりたいことを模索したが、スイッチのゼルダくらいにしか出会えなかった。こりゃ軌道修正が必要だ、と思った。
そうした思考の先に「平穏」「平温」という言葉が浮かび上がってきたわけである。いろいろとやってみるが、平温でやってみる。それを続けてみる。いくつもやってみる。しかし、燃え上がることは期待しない。
燃え上がることは期待しないが、もし、燃え上がることができたら、そのエネルギーを抑制はしたくない。さすがに高熱になってしまうと反動がこわいが、微熱くらいだったら全然いいのではないか。
なにかに燃え上がり、燃え尽きる。ぼくの人生にはそんな宿命があるのかもしれないと思っていたけど、どうやらそろそろ次のステージに動きそうな感触がある。へいおんと微熱だ。
普段は「いつもの」をやっていくことに心地よさを覚えて、平温で、平穏に暮らす。だけど、燃え上がるとはいかないが、少し熱を帯びることがある。
高熱だとか微熱だとかは本来コントロールできないものだとは思うけど、これからのぼくの人生は微熱が多めになっていくのかもしれない。へいおんと微熱。このバランスを見定めるような日々を、ちょうどいい暮らしを見つける記録をつけていきたい。