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考えたいから、書いている。

どうやら"書く"という行為は、なかなかデリケートな行為なのだな、と最近noteの投稿を再開して思う。

「デリケートな行為」というのは、僕なりに言い換えると「考えることを促進させる」ということになる。言葉が少し変わっただけで、伝わり方がガラっと変わることがある。

だから、考える。言葉を、選ぶ。考えたいから、僕はまた書きはじめた。

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noteに投稿する以上、不特定多数の人が読むので、これはふまえた上で当然書いている。

ただ内容としては、自分に向けた日記、思考のメモのようなものなので、「〜なんです」「〜です」といった外側に向けた文体にはしていない。

「だったら自分だけが読める日記でもいいじゃん」と思った人もいるかしれないけど、これだと文章が乱雑になることが多い。(これもこれで必要な行為だとは思う)

「不特定多数が読む」という前提があることで、言葉を選び、文章を整えようとするし、その過程で「考える」が刺激される。

その結果、僕の文章を読んで「ふむふむ」と感じる人が世界のどこかにいるのなら、それはもちろんありがたいことでもある。

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アウトプットの方法としては、他には写真、動画、音声と方法があるけど、なぜ「文字」なのか。今回は、ここについて少し考えたい。

情報量

「文字だけ」のコンテンツの情報量を1とするなら、写真は7、動画は5000にもなるらしい。(音声コンテンツに関しては、写真と動画の間に入るのかもしれない)

これは誰かとコミュニケーションするときに、チャットか、電話か、対面か、という話に似ている。実際に会ったほうが、より相手のことを知れる。

例えば、僕のことを知りたい人がnoteの投稿だけを読んでも、それは僕の"思考の断片"なだけであって、そこには僕の仕草とか性格とか、そういうものはあまり情報として入ってない。

一方で、「文字だけ」ではなく「動画」の僕をYoutubeで見てみると、「多分コミュ障だな」とか「目つき悪いな」とか、そういう視覚情報が入ってくるわけである。

ということで、情報量でいうと「文字」が一番少なく、「動画」が一番多く、リッチ。

投稿ハードル

で、大事なのはこれ。今回はアウトプットの理由が「考えたい」なので、ここにPVやら再生数を稼ぎたいという欲求はあまりない。「考える」を継続することが、最優先事項である。

補足すると、文字、写真、音声、動画、これらの形式に優劣はないと思う。情報量でいえば「動画」が一番多いだけで、コンテンツの"深さ"とは関係ない。数分で撮り終わる動画もあれば、1ヶ月かかる記事(文字)もある。

最初に言ってしまうと、投稿ハードルが一番低いのは、音声コンテンツだと感じている。とあるプラットフォームで1ヶ月ほど連続投稿したことがあり、これを痛感した。

喋るトピックさえ決めてしまえば、10分の収録なら10分で終わる。編集もなし。マジで楽だと思った。

「じゃあ音声で投稿すればいいじゃん?」と思うかもしれないが、投稿が楽なせいもあってか、そこまで「考える」が刺激されない。

僕の場合、ちゃんと喋ろうとすると事前メモが必要で、ときにはそれが1本の記事くらいになることもあった。音声投稿する前に、1つの文字コンテンツができあがっているみたいな。

じゃあ「もっと気軽に投稿するか」と事前メモを最小限にして収録をすると、それはそれであまり考えないで喋ってしまう。「考える」がそこまで刺激されなかった。

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かといってインスタのストーリー(動画)で「考える」が刺激される気がしないし、ちゃんと動画をつくるのもハードルが高い。

「動画」は情報量が多い分、例え撮影が数分で終わっても「データをPCに取り込む」「編集ソフトに取り込む」「撮影クリップを確認する」「アップロードする」という細かいステップが発生するので、どうしても手間が増えてしまう。

じゃあ「インスタに毎日写真を投稿するか」というのもカジュアル過ぎてなんか違うし、結局そこに文章が追加される気もする。

ということで、一番効率的に「考える」を刺激してくれる(という表現もなんかおかしい気もするが)のは「文字」コンテンツだという結論に、ひとまず落ち着いている。



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ふう、しばらく書いていなかったので、脳の汗が最近やばいです。本当は700文字くらいにしたいのに、今回は2000文字近く。うーむ。

理想は朝の30分くらいの時間を使ってさくっと1本書きたいのですが、「考える→書く」という回路が鈍っているので、余裕で1時間以上かかって書いてます。笑


▼最近のゲームはやばいな、と思うこの頃です。


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