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【百年ニュース】1921(大正10)10月14日(金) 東京駅前で鉄道50周年祝典式が開催される。大正天皇の名代として皇太子裕仁親王が出席。群衆が一目皇太子を見ようと集まる。原敬首相,元田肇鉄道大臣ら関係者の祝辞のあと,鉄道功労者や鉄道勤続者を表彰。この頃から明治期を憧憬し偉業を称える行事が増加。

東京駅前で鉄道50周年祝典式が開催されました。大正天皇の名代として皇太子裕仁親王が出席いたしました。

9月3日に半年に渡るヨーロッパ訪問から帰国した20歳の皇太子裕仁親王の人気は当時すさまじいものがありました。群衆が一目皇太子を見ようと東京駅に集まりたいへん混雑したということです。式典には原敬首相、元田肇鉄道大臣ら多くの関係者が出席し祝辞を述べました。もちろん皇太子裕仁親王のお言葉もありました。そして鉄道功労者や鉄道勤続者を表彰し、明治時代の偉業を称えました。

実はこの頃から明治期を憧憬する、すなわち憧れをもって、その偉業を称える行事が増加していきます。明治天皇像が亡くなった1912(明治45)年7月30日から、10年近くが経過し、明治天皇のイメージが、その実態を越えて美化されていくプロセスでもありました。その偉大な明治天皇のイメージを、日本国民はこのあと皇太子裕仁親王すなわち昭和天皇に重ねていくことになります。

そしてまた昭和天皇自身も、周囲の期待に応えて、実像以上に肥大化・偉大化した明治天皇像に近づくよう自らを律していきました。そのような昭和天皇の努力を、ある意味で利用していったのが、昭和戦前期の軍部であったわけです。

昭和天皇の実績は、刊行されている昭和天皇実録でかなり詳細に追いかけることが出来ます。2015年に東京書籍が出版している宮内省編『昭和天皇実録 第3』から、この日の記述を抜き出して読んでみたいと思います。493-494頁になります。

10月14日 午前9時50分,陸軍通常礼装にて御出門,御参内になる。葡萄の間において御小憩のあと,10時20分天皇御名代として公式鹵簿にて宮城を御出門,東京駅前における鉄道50周年祝典式場に行啓される。

御休所において内閣総理大臣原敬,鉄道大臣元田肇その他関係者に賜謁の後,天皇への献上品として明治五年の新橋駅開通式場,横浜駅開通式場への明治天皇行幸を描いた油彩画各一面の披露を受けられ,元田鉄道大臣より説明をお聞きになる。

それより式場にお出ましになり,勅語を代読される。

続いて元田鉄道大臣,原総理大臣はじめ関係者の祝辞,鉄道功労者,鉄道勤続者の表彰が行われ,最後に鉄道大臣の発声にて天皇,皇后,皇太子それぞれに対する万歳三唱がなされる。

終わって会場を御出発,宮城に帰還され,天皇に御復命になる。

さらに御内儀において皇后に御拝顔になり,午後0時30分東宮御所に御帰還になる。

昭和天皇にご興味のある方は、ぜひ『昭和天皇実録』をお手に取ってみては如何でしょうか。

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