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【百年ニュース】1921(大正10)12月15日(木) 米国のラジオDJ,アラン・フリード誕生。黒人のリズム・アンド・ブルースを「ロックンロール」と名付け,1950年代に積極的に白人の若者に紹介した。1951年以降自身の番組でチャック・ベリーやリトル・リチャードをヘビーローテーションで流した。

米国のラジオDJの草分けアラン・フリード(Alan Freed)が誕生しました。黒人のリズム・アンド・ブルースを「ロックンロール」と名付け、1950年代に積極的に白人の若者に紹介したことで知られています。1951年以降自身の番組でチャック・ベリーやリトル・リチャードをヘビーローテーションで流し時代をリードしました。

本名はアルバート・ジェームズ・フリード(Albert James Freed)と言い、ユダヤ系の父親と、ウェールズ系の母親のもとに、ペンシルベニア州ジョンズタウンで生まれました。のち一家はオハイオ州セーラムに移住し、フリードはそこで学生生活の大半を送った。

セーラム高校時代にダンス・ミュージックに心を奪われ、自分自身で「ザ・サルタンズ・オブ・スウィング」という名のジャズバンドを結成しました。本人はリーダーであり、楽器はトロンボーンを演奏していましたが、オハイオ州立大学に進学するとラジオ局のDJに興味を持ちました。

第二次世界大戦中は米国陸軍に志願し軍内ラジオDJとして働き、戦後はペンシルベニア州ニューキャッスルの小さなラジオ局WKSTで働き始めます。ジャズやポップなど新しいスタイルの音楽を中心に放送し、地元で人気を博すようになります。

1954年にニューヨークのWINSに移り、のちCBSラジオで自身の冠番組「アラン・フリードのロックン・ロール・ダンス・パーティー」をスタートさせ、全国の知名度を獲得しました。

アラン・フリード
アラン・フリード「ミスター・ロックンロール」
黒人音楽だったリズム・アンド・ブルースを白人社会に紹介した
クリーブランドのレイクビュー墓地のアラン・フリードの墓


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