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「ぼくがいま、死について思うこと」 椎名誠 著 新潮文庫

著者のしーなさん(全く面識がないが、つい”しーなさん”と呼びたくなっちゃう)は、67歳の時、主治医で精神科医の中沢正夫さんから「あなたは自分の死について真剣に考えたことはこれまで一度もないでしょう」と言われたのだそうです。


僕は、まさに今67歳。はて「自分の死について真剣に考えたことがあるか」と言われると、少しは考えたことはありますが、「真剣に」と言われると、あまり自信がありません。でも、そろそろ、そう言うことを考えるべき歳ということなのでしょう。


しかし、待てよ?「主治医で精神科医」???「主治医で内科医」ならわかりますが・・・。読み進めていくと、どうやらしーなさんの持病は、高血圧と不眠らしい。不眠だから、精神科なのかもしれません。他にも理由はあるのかもしれませんが、わかりません。わからないことは放っておきましょう。


さて、この本には、しーなさんが出あった様々な死から考えたことが書かれています。


ガンで亡くなった編集者の葬儀の時に、斎場で聞こえてきた元アナウンサーと思われる女性の、「ひとは、生まれるときに、両手を硬くにぎりしめているといいます・・・」という、ゆっくりとした、悲しみをこらえたような声に、むしょうに腹がたった話(p.28)が書かれていました。故人と縁もゆかりもない人からのもっともらしいお話には、僕もその場にいたら違和感を持つだろうなと思いました。僕も、いくつかの葬儀で、なんかオートメーションでありながら、「ここで悲しみましょう」「ここで深く感動しましょう」みたいに言われているように感じる葬儀もありました。でも、最近は遺族に寄り添ってその家族なりの葬儀をしようとしている葬儀屋さんもずいぶん出てきたよなぁと思います。グリーフサポートなどを勉強している葬儀屋さんも出てきています。僕の葬儀の時は、そういう葬儀屋さんに頼もうと思いました。


へー!という話もありました。

昭和六年の新潟県南魚沼郡の葬儀の写真を見ると、喪服は白(p.30)なのだそうです。中国も白ですから、日本も最初は喪服は白だったのだと思います。その白い喪服の伝統は、地方では昭和の初期まで残っていたということになりますね。

また、さすが世界各国を訪ねてきたしーなさん、各国の葬儀についても書いています。


例えば、チベットの鳥葬。しーなさんの奥さんは1987年から2012年まで毎年チベットに行き、チベットにかんする本を何冊か出しています。その縁で、本来立ち会えないはずの鳥葬に奥さんは2度立ち会っています。実際に見た人による話には迫力があります。鳥葬はただ死体を山に置いていくのではなく、禿鷹が食べやすいように処理する(p.63)のだそうです。処理の途中で、禿鷹たちが集まってきて、死体を持ち上げようとすることもあるのだそうです。


モンゴルでは風葬が行われるのだそうです。風葬と言われるとなんとなく風にさらされていつの間にか・・・というイメージが浮かぶのですが、実際には「野ざらし」です(p.69)。それなりに凄惨な場面もあるわけです。


驚いたのは、ゾロアスター教にも、三途の川のような話がある(p.122)ということです。どこか共通した死に対するイメージがあるのでしょうか?いやそれとも、本当に三途の川があるのでしょうか?


そういえば、心臓病で生死の境を彷徨った僕の父が、生還した後「三途の川」を見たと言っていました。しかし、その後「川の向こうに見慣れない奴がいてな。それが赤鬼だったんだよ。あれが青鬼だったら、向こうに行っていたな。青は『進め』で、赤は『止まれ』だから助かった」なんて付け加えるものですから、三途の川の話がどこまで本当なのかわかりませんが・・・。


しーなさんはお母様が亡くなる当日に、予知夢を見たのだそうです。「赤ん坊みたいになった母を抱いている。頭と顔をさわるとグズグズになっている。骨が砕けているのだ(p.16)」という夢だったとのこと。


そういえば、僕は当日ではないけど、父の死の前に予知夢のようなものを見ました。毎日のように、僕の友人が死んだ夢を見ました。「えっ?あいつが死んだの?」と驚いて目を覚ますということを繰り返したのです。ノートにメモしていたのですが、気味が悪いのである日そのメモを消してしまったんです。そうしたら、悪夢を見なくなりました。しかし、その1ヶ月後に父は心筋梗塞で急死してしまいました。そのため、三途の川の話が冗談だったのか本当だったのかを確かめる術はもうありません。


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