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語学×音楽=語楽。外国語の歌詞をゆっくり紐解く

「歌詞」って、大きな制約の中で作者の思いを聴き手に伝えたり、聴き手の想像力を掻き立てるための創意工夫が豊富に施されていて、

作詞を職業として考えると、重要な目的を持って綿密にデザインされたものと言えます。

じっくり向き合うと、細部までよく作りこまれているな、と思うものが多いですね。

これを語学学習に使わない手はないわけで。

左脳的には

類語が多い単語の使い分け方などの、生きた表現

教科書には出てこない、新しい表現、新しい意味

など、純粋に語学の観点から見ても効用は大きいですが、

むしろ右脳的

少しづつ理解が進むからこそ味わえる「分かった時の喜び」「感動」

歌詞の世界観そのものを手探りで理解しようとする「想像力」の活性化

が大きいかな、と。

今使われれている言葉を知るためにはPOPSが良くて、必然的に恋愛の歌、それも悲恋の歌が多くなりますね。

一つの例は、女性歌手が歌う歌詞の中で、

相手のことをずっと二人称で歌っているのに、最後の部分で急に三人称になっているもの。

流して聞いていると気付かないけれど、歌詞を見ていると、あれ、と思うわけです。

私が勉強している中国語では、三人称に「他(彼)」と「(彼女)」が使われます。

発音は同じ「ター」なので、音だけではわかりません。

ずっと、この部分を「他」=別れた彼のこと、だと思って聞いていたのですが、歌詞を読むと、「她」=彼女、だった。

「別れた彼が」、運命の女性と出会って、幸せになりますように

と歌っていると思っていたところが、

別れた彼と出会った「運命の女性が」、幸せになりますように

と歌っていたのです。

これに気づいて、「あ、主人公は次の恋に向かって歩き始めたんだな」なんて思えて、嬉しくなりました。

もう一つの例は、やはり女性歌手の歌。

「次の冬に約束していた二人きりの結婚式

約束の時期は過ぎ、二人は2度と一緒にはなれない」

という内容で、

ずっと、彼が離れていったのか、あまりに悲痛な歌詞なので、もしかしたら彼が亡くなったのかも?

と思っていました。

しかしある日、

「私たちの、過ぎてしまった約束」

と歌った後、最後の部分で

私の、過ぎてしまった結婚式(の日)」

と、一人称になっていることに気付きました。

「私たちの約束」は二人揃わないと果たせないからわかるけど、「結婚式」ができないは「私だけ」なの?

もしかして、死んでしまったのは「私」?

と感じたのです。

その時、歌の世界観が逆転。その他にもちょっとしっくりこなかったところも、一気に氷解した感じ。

実は歌の主人公よりも、残された相手の悲しみの方が、はるかに大きいはずだよね・・・

主客がひっくり返り、ますますその歌の世界観が好きになりました。

作者の本当の意図はわかりません。

知らなくていいんです、どう感じるかは、聴き手に委ねられているのだから。

こんな経験をしてみると、母国語の歌を母国語として聞くよりも、ずっと深く味わえます。

言語を「学ぶ」、から一歩も二歩も深く、「楽」しみながら理解していく。

ちなみに、悲しい歌詞が、長調のメロディーに乗る歌に惹かれますね。ギャップ萌えの一種なのかな。

(一番めの例)

(二番目の例)

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究極の文系、ノンデザイナーのためのデザインスクール生、50代。 そんな私が旅で見たもの、感じたものを無理やりデザイン観点で整理する試み。 本職のデザイナーさん、暖かい目で見守って下さいw そして、最近写真館もスタートしました。